1056話 雪の高野山

今日はお休みの日曜日。


ひろ兄(にい)は受験勉強だし、あさ姉(ねい)は期末試験なので、まいちん一人が空きである。


生まれてこの方、「つもった雪を見たことがない」とお嘆きのまいに、発作的に「雪を見に行こう」と告げる。


行き先は高野山


高野山、積雪」で検索したら、地元の薬局の店主の方が公開されているブログに、22日の風景として雪に包まれたお寺があった。積雪はあるようである。


JRで橋本まで来ると、沿道にほんの少しの残雪。南に見える山の北面にも雪が。しかし、それにしても乗り換えの橋本駅は寒く感じた。


帰宅してから、今日がこの冬一番の冷え込みだったと後で知った。橋本が寒かったんじゃなくって、「今日」が寒かったんだ。


極楽橋までの南海電車の沿線では、トンネルを抜けるたびに雪景色を期待するがあまり変化はない。


そしてケーブルで山頂駅へ。


それにしてもケーブルカーというのは凄い根性である。坂というよりはがけに近い斜面をぐいぐいと登る。ぐいぐいと登ると、どんどんと両側に雪が増えてきた。


高野山駅は積雪の中!



町までのバスは、完全に「北の国から」状態である。積雪の上をそろそろと走る。雪の高野山は実に絶景である。なんともいえないおもむきである。


どこへ行くとも決めていなかったので、バスで一気に奥の院へ。


積雪に降雪の中、昼を回っていたので食事をするが、屋内でも寒い。食券売り場のお姉さんに聞くと、「高野山の冬でも今日はとびきり寒い」とのことである。


腹がくちくなると、まいちんは喜び 庭 駆けけまわるのである。ついでに「初雪合戦」をしかけてくるのである。


両脇に雪かきした雪のたっぷりと積まれた奥の院の参道を歩く。


高野山は三度目だが、いずれも合宿会場の宿坊の周辺のみの散策であったので、この道は初めて。


ここには、ざっと20万人のお墓がある。(らしい)弘法大師の元では安らかに眠れるということらしい。


そのお墓の名前を見ると、ほとんど「日本史のアカデミー賞授賞式」か「歴史的紅白歌合戦」状態である。


石田三成明智光秀伊達政宗赤穂浪士大岡越前織田信長に豊臣家、徳川家に島津家と、東西南北・敵味方入り乱れて「乱立」している。


そういう中には「関東大震災でなくなられた方」の碑だとか、第○○工兵連隊とか、そういった碑もある。それぞれが鎮魂の碑を建てざるを得なかった思いのようなものを感じ、さっさと素通りできない。


業界由来のもや企業系のものも多数あって、こちらはなかなか愉快なものも多い。(もちろん殉職された方のための碑もあって、それを愉快というのは不謹慎ではあるのだが)


写真業界のものには、お名前と写真が貼り付けてあり、シロアリ業界の碑には「しろありよ、安らかに」とある。日産の碑には作業着姿の行員さんが二人建つ像がまつられ、UCCのそれには狛犬のような位置に御影石のコーヒーカップが鎮座してある。


1キロではすまないだろう石畳の道は、綺麗に除雪されている。もちろん除雪車で一気にできるような道ではない。


途中、一人の僧の方が、作務衣に長靴、薄いブルゾンだけを羽織ったいでたちで、バケツに入れたフレーク状の凍結防止剤を、ひしゃくですくっては撒いているところに行き当たった。


沿道の手前に、雪かき道具や竹ぼうきが置いてあったから、このお坊さまが、氷点下の参道を「お参りする方々のため」黙々と雪かきして、また凍結防止剤を撒く。


俗世界の「成功」やら「自己実現」とは無縁の世界である。


「スピリチュアル」やら「信仰」やらとは、できる限り一線を引きたいと思っていた筆者であるが、ここ数日そこらへんに少し変化のきざしを感じる筆者である。


何かの宗教に帰依しようとしているとか影響を受けたということではない。


体癖研究の過程で、合理的に行動に結びつける「奇数種」が(筆者なりに)解明でき、じゃあ偶数種って何やねん、というテーマが浮上してきたからだ。


そのあたりは、今書いている原稿に反映されることと思う。



それはさておき、沿道の積雪に、膝下まで足をずぼっと突っ込んでいる時のまいちんの満面の笑顔を、筆者は、おそらく20年後、30年後も忘れないだろう。


幸せな親父である。