1115話 S江さんへ 2

 

整体でも演劇でも武術でも、稽古や体づくりの中身というのは、自分の中の一点と全体の関係、自分と相手の関係というものからスタートしないものであれば、まことに的はずれであると思います。


発声練習なんてのも、誰にも届けるつもりのない声をいくらあ〜あ〜やったとしても、それが何なの?と門外漢である私は思います。(前提になる意識を変えればいいものにもなるでしょうが)


先日の研究会は、相手との関係性が生まれれば、そこに準物理的な影響が一点として生まれる現象(リレーションスポット)や、みずからの立ち方、つまり足裏と大地との関係を重心位置の補正とその際に生まれる法則的な感受性との関係という角度でご披露した、ということであります。


感想にありました「M本くんの変化がなにより衝撃でした」「彼があの場で出した感情が存在することがわかったことがある意味収穫だった」という文言は読ませて頂いてまことに嬉しい部分であります。それは「伝わった」「理解していただけた」ということの証明であります。


「おもしろい体験をした」というのは実は、がっかりなのであります。「参考になった」という感想も実はがっかりなのであります。


偉そうな表現になりますが「わけが分からないけれども、とっても重要あるいは本質的なものに出会った」というような感触が最高なのであります。すっきり明快になったというのはこちらからすれば理解されていない時の感想で「う〜、わけが分からない」というのが私にとっての正しい感想です。(ずっとそういったものを追い求めていた人は違いますが)


それは私が過去、先人・先達より手ほどきを受ける際に感じたことなのであります。「あ、こうやればいいんだ」などと浅い体験・自分を尺度にした浅い理解でやったとてまったく伸びなかったのであります。


わけが分からないことをちゃんと「ぜ〜んぜん分からない まったくできない」と登録して、年単位で追いかけた結果が、自己対比でありますが飛躍的に伸びるベースになり、上達することにつながったのであります。


わずかながらもできるようになってみると、そのできるようになったことは「まったくできなかったころに想像していた住所番地にはまったくなかった」ということであります。


私はご縁会って小劇場系の方とは20年来のおつきあいがありますから、その方々の普段の稽古の中に「無かったもの」をよりすぐって前回ご披露させていただいたのであります。


といっても皆無ではなく、なぜか分からないけれども上手くできてしまった、それが現れてしまったというような際には存在しているものを取り出したのがあのデモンストレーションであったのであります。


ですからS江さんが「オモシロ体験をした」という程度の認識に不満を持ち「からだや空間への氣の流れの意識の不足している役者は(自分も含めて)多いし」という分析をされていることは、まことに今回の研究会の「伝わってほしい」部分がある程度は伝わったものと喜んでいる次第です。


今回ご提案の方法は、一度できるようになったら、何度でも再現可能な本質的なものにつながる方法だと考えています。今日は調子がいいとか、前よりできなくなった、というようなことがなくなる方法であります。


そういった背景から、最初はハードルは高く、なかなかできませんが、できるようになれば、できない人にダイレクトに肌から肌へ?氣で伝えることもできる、という方法です。


そのあたりが西洋スポーツ的なアプローチとはまったく違う部分であります。ちょっとずつできるようになるというのではなく、できるかできないかのどちらか、というシビアな武術的な方法であります。


西洋的な方法は「とりあえずできる」から始めるために、下手すると最初のボタンで掛け違ったまま進み続けるという欠点があるように思えます。「それっぽくなった」ことを「できる」と勘違いしたまま進んで年季を重ねてしまいます。


「今のは良かった、今度のはダメ」ではなく、何度でも「OK」ができるようになるのを当たり前にするには、というあたりから考えていくと、現状の稽古の中には不要・無用・不急のことにずいぶんと時間と労力を費やしているように思えます。もちろん、演劇にかかわらず武術や整体でもたくさんありそうです。と言うより、そういうものばかりではないでしょうか。


ゆえに、それらの「不要・無用なトレーニング」の時間を、本質的なものを追求する時間に振り向ければ、そのことを年単位のスタンスでやっていくのであれば、今までの延長だけをくり返すのに比べて相当の効果・変化が期待できると思っております。


以上、思うところ、感じるところを書いてみました。


八木氏の追求する「本当の演技」と「それが稽古できる方法と場所」の実現に向けて、「より本当のものができるようになりたいと悶々とされている方々」とシビアに楽しんでいけるうねりが生まれ、育っていくことを念願しております。


人間の本質的なものを追い続ける限り、私にとってその研究は、整体そのものの研究であります。


津田啓史 拝