1180話 読んでも読めてない


とにかく「自意識の命令・指令・コントロール下」での練習は、身につかない。


そういう練習しか世の中にないのであるから誰も疑わない。


筆者だって偉そうな顔をしているが、つい最近気づいたばかりで、それまでの何十年は自意識主導の練習でいいんだと思いこんでいたのである。



つい先日、27日の日野先生のブログに


「身体塾」は、一言で言うと、合理的な身体の使い方を、身体のメカニズムにそって稽古です。


身体にとって一番の敵は、自分自身の意識です。
身体は「意識すればするほどぎこちなくなる」という性質があるので、それをどう乗り越えるのか、等々を稽古します。


ですので、ダンサーに限らず、一般の方、役者の方、スポーツ選手の方、つまり、どなたでも参加して楽しく学べます。


「即興塾」は、正式には「即興する関係」と題しています。


それは「自分勝手」をいかに排除していくか、思い込みをいかに排除していくかで、そのことが、いわば身体の合理性を失われるし、調和された美しい動きを壊しているかです。


根幹にあるのは、関係性での動きで、風の強さによって木の葉の揺れが違うように、その関係性の中で動く事が、あるいは、動かされる事が身体を解放させるか、を体験し学んでもらいます。


その関係性の中で動かされる、という事が「即興」の軸になります。


「表現塾」は、自分は他人から見てどう見えているのか、が基本です。


自分の思っていることが、他人から見えているのか、自分のイメージしていることが確かに他人の目にもそう映るのか、それを演者と観客になり勉強していきます。



という記事があった。


日野先生のブログはほぼ全て読ませて頂いている。日野先生は筆者のように右往左往されていないので、発言・記事内容は筆者のように数週間単位でころっと変わるような低いレベルではない。


印象に残ったからここに引用させて頂いたのである。ということはどういうことか。


今までもまったく同様なことを書いておられたにもかかわらず、筆者はそれが全然読めていなかったということである。見過ごしていたということである。


身体は「意識すればするほどぎこちなくなる」という性質があるので、それをどう乗り越えるのか、等々を稽古します。


という一文がある。実にわかりやすい日本語である。


ワークショップの宣伝文として、簡潔にして明瞭。


しかし、日野未体験の方々は、自意識でこれを解釈するわけであるから


「なるほど、ぎこちなくなっていくわけだな」


などと自意識で想像できる範囲を思い浮かべるのであろう。


筆者は違うと思う。日野先生は、「読み手が想像できない範囲のこと」をやりますよ、と宣言されているのである。


自意識低下歴数ヶ月の筆者でさえ、自意識低下状態=無意識力発揮状態では、想像もつかないレベルのことが起こるのである。


自意識下の無理と無駄と不合理だらけの練習でも、なかにはそれなりのものにたどり着く人もまれにあるのである。


自意識低下状態を常とし、その状態で人並み外れて稽古した人がどういうレベルになるのか、というのは恐ろしいことになるとしか想像がつかない。


そういうレベルの人が


それをどう乗り越えるのか、等々を稽古します


「乗り越えさせるんや言うとるやんけ」


なのである。


恐ろしい。


再度書くが、日野先生は同様のことを毎日書き続けられているのである。


にもかかわらず、筆者は漫然と読み飛ばしていたのである。


ようやく「ちょっと引っかかるレベル」になったかも、なのである。