1181話 ない袖を振る
自意識主導の練習では上達しない。
これは事実である。
一例をあげる。
自意識は「自分がやっていないこと」を問題点にあげる。
「脇が締まっていなかった」「手首の返しができていなかった」
「踏み込みが足りなかった」「安定感がなかった」
まだ体験していないことをどうやって修正するんだろう。
脇さえ締めればいきなり合格点が出る、と言っている。
手首さえ返せば、鋭い打球がホントに飛ぶのだろうか。
踏み込みを増せば、遠いボールにラケットが届き、鋭いリターンが返せるのだろうか。
安定させるにはどうしたらいいのか分かっているのだろうか。
今、どこまでできているという到達点の正式な認識がある、と思いこんでいるけれど、それができている人は、こういう感想をもらさない。その認識があれば、ほとんどの場合プレーは成功している。
現状が分かっていなければ、何を根拠に「踏み込みが足りない」と言えるのだろう。
どこまで踏み込んだのだろう。何センチ。
どれだけ手首は返ったのだろう。
どの程度脇が締まったのだろう。
軸に対して何センチぶれたのだろう。
こういう問いに答えられるレベルで状況を把握しているならば、同じセリフを言ってもいいと思うし、練習するほど上手くなる人だろうなとも思う。
言う資格がない人が、もっともらしく口にしてしまうから、積み上げがきくラインに乗れないのだなと思う。
「どんなフォームでどんなふうに動いたか、かいもくわかりませんわ」
から始めれば、上達するラインに近づくと思う。
今春より陸上部に入ったひろきに、昨日の墓参りの往復の車中でそういう話をした。
彼は、今日夕方帰宅すると「こんなに広いストライドで走れたのは初めてだ」と言った。「風邪気味なのに朝練と夕練両方出ててこんなに疲れないのは驚いた」とも言った。
そういう変化を呼び起こすものが「練習」だと思う。おばかな自意識のみが根拠なく納得して、身体はひたすら疲労を蓄積していく行為は練習とは言えない。拷問か苦役だと思う。