1182話 私は今まで何してた


1日


今日のヨガは常連の方ばかりだったので、思い切って「まったく教えないぞ作戦」を実行した。


いつもは5ポーズのところ、10体癖対応の10ポーズに増やした。だから普段はやっていないポーズが多数ある。


「教えないぞ作戦」は、「自分で採点してね」作戦である。


ポーズの大まかな形だけを指定したら、細かい誘導は一切しない。いつ始めていつ終わるかもすべてご本人まかせ。ひたすら自分の身体の状況を注視する。


何に注目するかというと、「いい変化」である。


まずは、ポーズの動き始めで「50(点)」と声を出す。


そこから自分の動きを感じ取って「あっ、これいいな」というものが感じられたら、すかさずそれを声に出し、その「いいな度」にあわせて加点した得点を宣言する、ということをひたすら繰り返すのである。


いいところを「つくって」加点するのではない。いいところが生じたのを感じて、何を感じているのかということを発声するのである。


「腕が勝手に上がるぞ55点」


「いつも以上に真上に伸び上がっているわ 60点!」


「なのに呼吸が勝手に深まっているのよ65点!」


「(いつもなら突っ張るはずの)脇腹が無理なく伸びていくらでも曲がるのよ70点」


というぐあいである。


「そんなふうに身体が来るならば、こうしよう」という自意識による方向付けは厳禁である。


「こうしよう」と思い「こうしなさい」と身体に指令命令をだした日には、たちまちにして身体の回線はフリーズし、こわばり緊張は団体で登場し、つっぱり感はのさばり、身体上の知覚できる「おいしい」面積・部分は激減する。


いつもどおりの予測範囲内のしょうもない動きと感覚になり果てるのである。


しかしながら、観察に徹すると「今まで出会ったことのない自分の動き」に出会うのである。自意識の予測範囲を超えたものがおでましになるのである。


うれしいことに、しかし、残念なことに、そんな「何にも誘導しなかった、アドバイスしなかった」今日のレッスン後が、過去数ヶ月の中でもっとも「いい笑顔ですがすがしく、整って帰った」という方がおられた。


さらに、レッスン修了後二人の女性がなにやらなごやかに話をしている。


家ではなかなかうまくできないのに、道場でやると違うわよね、そうだわよね、というような会話である。


「道場はいい、道場はいい」と絶賛されているのである。


私が微に入り細にわたり工夫の限りを尽くして絶妙の誘導とアドバイスをした結果…、の会話ではない。


まったく誘導しなかったのが今日のレッスンなのである。ははは。