1183話 産みの苦しみ

「カウント式、自意識低下誘因法」を習ったKちゃんからのメールの一部と筆者のお返事である。



> せんせーこんばんはー。
>
> 自意識はやってないことを言う、ですが、

> 木曜でもさんざんアチャー!と思いましたが

> あれからアチャー!!ワチャー!!が増えています。

> 口から出るものすべてがやってないことなんじゃないの?って思うくらい。

> みんなそうなんやって、と思ってもガッカリします。


27日のブログに書きましたが、カウント方式の生活改善法「芋づる加点方式 物事の取り組み方改善法」というのができて、これがすごいです。


自意識を低下させると、どんどん「今までの自分ではやらなかったこと」をやっていきます。


仕事の能率が革命的に上がって、あまりないと思っていたストレスがさらに激減しました。


自意識を背景にした頭と口は「やっていないこと」を語ります。


芋づる方式を実行することで、飛躍的に


「今までの自分ならやらなかっただろう取り組み」


を体験し、また


「今までの自分なら止められなかっただろうこと」


を簡単に止めたりができるようになってきてわかったことがもう一つ。


自意識は「やり慣れたことしかしない」です。


そのくせ


「新しいことに挑戦している」


と錯覚しています。


前のホロンで、Oさんが、セカンドセルフトレーニングに点数を付ける方式をやっていたときに、剣振りの形をやっていたのを覚えていますか?


あの時は「あれ、変だ」と思ったのですが、どこがおかしいか明確に指摘できなかったのですが。


あの時にOさんは


「剣を振り上げた自分」と「振り下ろした形の自分」の二つの「セカンドセルフ」を描いているという意味のことを言っていました。


つまり肝心の剣を振り下ろしている最中は、セカンドセルフは消えているのです。セカンドセルフの真似をしていないのです。


だから、ほかの人がみるみるいい動きになってくる中で、動きを見ていてちっとも洗練されてこず、今思い出すと、意識的な練習とちっとも変わらないので


「もっといろいろ多様な動きやってみて」というような


声をかけたのですが。


おそらくOさんも悪意なく、セカンドセルフトレーニングを、いつの間にか、最初と最後の二つを描くイメージトレーニングという、まったく意味の違う効果のないトレーニングにすり替えていたのです。



本人には別の稽古をしているという自覚はまったくなかったと思います。


今度聞いてみよう。


火曜日の整体教室でもさんざんこの「自分のやっていることを点数をつけていくことで自意識から無意識の動きに変化させていく」
ということをやりました。


3時間みっちりやってレッスンの最後に


じゃあ、皆さん、今日の帰り道を充実させるために、どんなトレーニングをしながら帰るつもりですか?と聞いてみました。


それぞれ


「足の裏のラインを意識して帰ります」


とか


「セカンドセルフを出しながら帰ります」


とか発表していましが、驚くべきことに7人の参加者全員が今の今まで三時間みっちり稽古した「点数をつける」という方法をきれいさっぱり忘れているのです。誰も言わないのです。


今まで意識的に自分のトレーニングメニューに入れていたことを、「よし今日もがんばるぞ、今日はいっそうがんばるぞ」
と思っただけで


「点数方式を使って、思ってもみなかった自分の動きに出会うぞ」


と思って帰ろうとした人は、ただの一人もいなかったのです。そのことを指摘しましたら、全員が愕然とされていました。だから言葉に出てこなかっただけでなく、ほんとに忘れていたのです。


なんと強力な自意識の作用ですこと。練習というのは意識的にやるもの、という刷り込みがかほどの強いのですね。


未だそこに達していないことを問題点として挙げ、新しいことにチャレンジしているつもりで「いつも通りのこと」をしている。


これが大多数の現代人のようです。


私も含めて。




> ○○を学んでいて、今までのわたしは何やったんやろう!?

> と気づくことが多かったのですが、

> もっとグッサリくる感じです。


ぐっさりきた人だけが、新しい自分(実は無意識がいつもやろうとしているのに自意識がふたをして出会い損なっていたいた自分)に出会えるのだと思います。


> ブログにあったY二郎さんって、Sちゃんですよね?


そうです。


> 人前に出せる自分、かぁ・・・。

> この言葉が日に日に堪えます。

> ションボリのガッカリです。

> 精進します。


精進しましょう。


ただし自意識は休ませて。


精進しているという手応えは、自意識がねつ造している手応えなので、上達に向かう本当の意味での精進をしていないのです。