1187話 上手くなるということ 3

今自分が何をやっていたのかを、正確に感知すると次第に結果が良くなってくる、ということを書きました。


くどいようですが「今自分が何をやろうと思っていたか」ではありません。実際問題、本当のところどうだったか、ということを感知しようという話です。こうやって念押ししたくなるぐらい、ほとんどの人は自分がやったことを感じないで、やろうとしたことを感じているのです。


ですから、本当に自分が何をやっているのかを観察するスタイルを取ろうとすると、限りなく自意識を低下させないとできません。自意識は、理想のフォームをやっているかどうかではなくて、理想のフォームをやっていると自意識が感じられる「手ごたえ」を作り出してしまうのです。


今述べている話は、別に私のオリジナルではなく、古くはヨガで説かれていることの一つであり、1970年代には「インナーゲーム」や「インナーテニス」でスポーツへの応用法として瞠目すべき結果が語られています。


さらに最近では「ユーザーイリュージョン」(T・ノーレットランダーシュ)によって「なぜそうなるのか」を説明する有力な根拠が明らかになりました。


人は、意識で身体を動かしています。そう思っています。ところがアメリカの神経生理学者ベンジャミン・リベットの実験によるとどうもそうでもないということが明らかになりました。


毎日新聞2002年10月6日 書評欄

張競氏評 「ユーザーイリュージョン」より引用


人間が自発的な行為を実行しようとする意図を意識するのは、脳が行動を実行し始めてから0.5秒後である。指を曲げるような動作をするとき、体がさきに動き出し、意識は時間差をおいてその意図を知る。にもかかわらず意識は身体に行動するように指示したと錯覚する。


なぜ感覚器官が捉えた情報は直接体験しないのか。本書によると人間の情報処理能力に原因がある。目、鼻、耳や皮膚から毎秒1100万ビットの情報が入りながら、意識が処理できる量は毎秒わずか40ビットだけである。

意識がそれ(1秒間に捉えた情報)を知覚するには76時間以上、つまりまるまる3日間以上もかかる。身体と同時性を保つためには大半の情報が捨てられている。また0.5秒の遅れを隠すためには、あたかも刺激の直後に自覚したように、時間をさかのぼって調整が行われ、主観的にはリアルタイムで世界を体験しているように感じている。


つまり「意識が身体を動かす」というのは錯覚だったと言うことが実験で証明されてしまったということなのです。


人間の行動のほとんどは無意識のうちに、身体がちゃんとやってくれているのですね。そして身体がちゃんとした結果を出した行為を0.5秒遅れて「今こうやれと言った」という記憶をねつ造した場合には、「うん、うまくやれた」ということになっているということでしょう。


ところが、全ての行為がそうかというと、どうも自意識が主導して身体を動かしている例もあるようです。


道場でよくやるテストですが、空手家が川原や氷柱や板を割るような手刀を振り下ろす動作がありますね。格闘技練習用のクッション性の強い大きなミットを人に差し出してもらい、それを割るように腕を振り下ろすという実験をやります。


そして、空手家のように大きく振りかぶって全体重を拳に乗せるように全力で振り下ろす。


当然ミットは動き、その持ち手にはショックが伝わります。


ところが、今度は振り上げた腕をただ振り下ろしてもらいます。想像では「へたれパンチ」になると思いますよね。ところが実際にはミットの持ち手が腰を真下に取られるぐらいに強い力がミットを打ち抜くのです。


一体全体どういうわけでしょうか。体重を乗せた方が軽くて、ただ振り下ろした方が重いんです。


そこで何が行われているのか人にやってもらっているところを間近でじっくり観察したら、すぐに原因が分かりました。なんと力強く降り出された拳は、ミットに近づくにつれて急激にその速度を低下させています。つまりパンチの出しては当たる寸前にブレーキをかけているのです。


この行為は自意識主導の動作です。つまり40ビットしか使えないのです。意識で「ミットを強く打ち抜こう」と指令を出していたはずです。ところが実際に出したのは「強く打ち抜く動作の指令」ではなく「強く打ち抜く動作をしたと【私が感じられる動作】の指令」だったのです。


本当に強く打ち抜こうとすれば、両手足から体幹部から表層筋肉深層筋肉、各骨格、血圧、内分泌、さらにそれらのバランスなどを総合した協調性が必用です。そんな膨大なデータは意識できる40ビットの中には入りません。1秒で40ビットですから、一瞬の行為ならば10ビット以下かもしれません。


そこで身体は意識が命令したとおりに


強く打ち抜く動作をしたと【私が感じられる動作】の手ごたえ


を作ってくれているのです。そこで腕がミットに近づくにつれて、知覚しやすい腕や肩の「目的としている動作に必用でない筋肉」にも急激な緊張指令を出します。すると、ものすごい「パンチの手ごたえ」が生まれます。それは打ち抜くための筋肉とは無関係の「ブレーキ」の手ごたえなのです。


ゆえに本人は「凄い手ごたえ」とご満悦なのにかかわらず、横から見ているとミットに当たる直前に急激にブレーキがかかり、減速しながらミットに当たるのです。


整体の創始者・伝説の巨人、野口晴哉先生がその名著【偶感集】の中で、数十年前に、とっくの昔に看破されているように(筆者もそういう意味だとは今の今まで理解できてなかったということですが)



これだけの仕事をすると疲れる

と、考える人は

疲れる。



そうとう骨を折らねばむづかしい

と、考える人は

そうとう骨を折らねばむづかしい


ということになるのです。



おそらく人の自意識動作目的には自意識が自覚する「主たるタイトル」と無自覚につけた「副題」の二つがあるのであろうかと思われます。



つまり


主題 ミットを拳で打ち抜く


副題 そうとうの手ごたえがないと無理


となり、身体は意識の命令に対し、より具体性を持っている副題に敏感に反応する。だって自意識は結果よりもその方を求めているんだもん、ということでしょう。


ちょっとそこのあなた。未来演劇塾に参加のあなたです。13日の受講開始を前に、この「上手くなるということ」を読んでおいてねという連絡があって読んでいるあなたのことです。


ここまでを読んでまさか「スポーツや武道、格闘技の人は大変だなあ」などと他人事のように読んでいませんか?


すいません。私はず〜っと演技の話をしているんですけれど。



つまりあなたが


「これはちょっとやそっとではやりこなせない大役だ」



と「思う」と、身体はその命令に忠実にしたがって



「ちょっとやそっとではその役をやりこなせないあなた」を作ってしまうのです。



きゃ〜。