1202話 ついてる ついてる?


首をぐるぐると回す。


その時に、本当でもウソでもいいから


「いやあ、最近すっかり首がこるんや」


と言って回すのと


「いやあ、最近けっこういい動きすんねん」


と言って回すのとでは、首の回転に圧倒的に差が出る。


もちろん「首がこる」でみしみしとつっかえるようになり、「いい動きすんねん」でなめらかに回る。


観察の結果「けっこういいねん」の方は、首が動くだけでなく、頸椎やら腰やらがうまく連動して首の動きを支え、「こる」と宣言するとその動きは「肩こりを確認する動きそのもの」であった。


人によって「動きがよくなるキーワード」には差があり、大別すると「けっこうええやん」「まあまあええやん」二派に分かれた。(もちろんほかにいろいろあっていい)


柔軟性や腕相撲でも同じ結果が出た。言葉によって柔らかくなったり硬くなったり、強くなったり、弱くなったり。


ゆえに筆者は「いいキーワードの言葉を積極的に出しましょう」と言いたい…


という訳ではない。


「今日の私がいい感じになる言葉を探してみるとおもしろいんじゃない」


ということでいいんじゃないかと思っている。


言葉で自己規定すると、身体はその方向性を実現するのではなく、「実現したと感じさせる情報や動作を最優先で選択する」というのが今日の実験でわかったことである。


その瞬間に肩こりが取れたりできたりしたわけではない。


その瞬間に肩のこわばりを感じない動きを選んだり、肩のこりを感じる動きを選んだというのが確認された状況である。


であるから


「この季節は体調壊すねん」とか「私は体が硬いねん」とか「人間関係が苦手やねん」とか「体が弱いねん」というような言葉を不用意に口にすることで、季節の変調を優先的に感じたり、体の固さを感じる動きを最優先で探したり、人間関係が苦手だと感じる要素を優先的に探したり、弱さを自覚できる苦痛を優先的に探したりすることは、人生の可能性が狭めるので、遠慮された方がよろしいのではないか、ということは申し上げたい。



ではいわゆる「プラスの言葉の繰り返し」はどうか、というと、これは人によっては「見えないインクでサブタイトルを描く場合がある」という実例を数多く見ているので、あまりおすすめしない。


「ついてる(わけないやろ)」「ついてる(ならこんなに不遇をかこってないわい)」


( )内が見えないインクで書かれたサブタイトルである。


正式タイトルよりも、サブタイトルの方が力を持つ場合が圧倒的に多いので、


「ついてる」と10回言ったつもりで「ついているわけないやろ」と10回言ってしまっている場合には、身体および無意識は最優先で「ついていないと感じさせる要素を探し、感知させる」ということになる。


さらに心配なのは


「ついてる」


と言い始めてしばらく好調だったという方が、なにかのおりに「否定的サブタイトル」を無意識に付けてしまい、悲観的な状況を優先的に感知した場合である。


言い方がわるいのかしら、数が少ないのかしら、朝晩言った方がいいのかしら、夏季限定だったのかしら、などと言う状況に陥ったとしたら、それはプラスの言葉ではなく、その人を縛る「呪いの言葉」化している。


故に「プラスの言葉とされている言葉」でさえ、一つ言葉に限定することは反対である。


今日の私が気持ちよくまとまる言葉探しでいいんじゃないか、と再度申し上げる。


そしてプラスの言葉を出すより先に、無意識に垂れ流している「私はこんな人なの!ワード」をやめた方がメリットは圧倒的に大きいと感じるものである。


ちなみに、預金通帳の残高が増えていくようなイメージで「ついてる」を連呼した場合には、誰一人柔軟性、腕相撲などプラスに変化した方はおられなかった。


自分のところにもたらされた望ましい結果や状況が、多くの人に伝播していくイメージを「ついてる」と表現した場合には、すべての方が柔軟性も筋力もアップしたことを付け加えたい。もちろん、それも今日の受講生の方全員という限定で、未来永劫の効果を保証するものではない。