1312話 かかわり
上達する、うまくなるということを考える時、「自分をどうこうする」という意識ではうまくいかない、ということが実感として現れてきた。
たとえば、身体操作に興味があって、「立ち方」なんぞを工夫し始めたとする。
正中線を立てるとか、足の裏をしっかりととか、統一する、とかいろいろと手がかりは先人が表してくださっている。
どんなことでも、続けていれば、それなりの手応えは出てくるもので、ちょっとできてきたかな、なんてことにもなっていく。
立つってなんだ、というと、基本的には地球との関係性である。
そこで、剣玉化してみる。
剣玉の先は「剣」でとがった棒になっているけれど、それを横向きについている「皿」にした形を想定する。
ただし、その皿を頭には付けず、足の裏がそれだとする。足の裏には土踏まずをのぞいた部分が弧を描いてついているから、両脚のそれをつなげば、丸い皿に近くなる。
自分が足の裏を上にした剣玉の剣になり、地球を玉だとする。
足の裏をてっぺんにした自分という剣玉に地球という玉を乗せるのである。
天地をひっくり返して、剣玉の完成である。
地球が足の裏から落ちないようにするには、という構えになれば、普段いろいろと工夫する「立ち方」よりもよほど自然でまっすぐな癖のないいい立ち方になる。
地球との関わりなしに立つということはない。
話を冒頭に戻せば、自分の身体の使い方だけに目を向けていても、立ち方の上達はなく、地球との関係を結ぶことは結果的に立ち方の上達につながる。
その視点で見ると、個人だけでの上達ということはなく、対象になるものとの関係が、もっとも調和融合したものというのが上達した状態だということになる。
昨日の牧さんも、「自分」で演技を工夫してうまくいったという話ではなく、自分をなくしたら観客が飛び込んできて、セリフになって通り抜けてほとばしったという話だ。
何をなくせば、その上達しようとしているものが成立しないかを見て、その関わりを一心に追求することかと思う。
そう考えれば、陸上の走法は、走り方のフォームの話から始まるのではなく、蹴っていく地面が、どうやれば自分をもっとも気持ちよく早く押し出してくれるか、から始まるのだろう。
打撃ならピッチャーとの関係から始まる。
対象から何かを引き出すわけだけれど、何を出してくれるかは、自分がどういうありようをしているか、で決まる。という話は明日以後に。