1400話 日付入り日本地図

実家のリフォームが完成した。


リフォームに取り掛かる際には、まずは壁やら床やらを引っぺがして大量の廃材が出る。


それをトラックにて一気に廃棄する、ということだったので、それまでなんとなく捨てる機会がないままに埋もれているあれやこれやのガラクタを一緒に捨ててしまおうと、母上はせっせと片付けたのであった。


そして、筆者に「お前の関連のものであるから、自宅に持ち帰りなさい」と渡された(って実際には指差された。母上には手渡せないぐらい重いんだから)二つのダンボール。


ひとつの中に一枚の日本地図があった。


これは、筆者大学生20歳のときに、徒歩で日本縦断をした際の「現在位置報告 コレクトコールの記録」である。


手持ちの現金も乏しい筆者は、3日〜5日に一度、着信者通話料負担の「コレクトコール」で実家に電話をした。


家では、電話の前にこの日本地図を貼り、電話があるとその地名を地図に探し、その地点に丸印を入れ、日付を書く。


筆者の歩いたコースに沿って、点々と印と日付が、北海道から九州まで続いている。



今のように誰でも携帯という時代ではない。電話をするのは、だいたい今宵の宿が決まってからである。宿といっても、無人駅や無人バス停小屋であるから、田舎のそういうところでは、公衆電話などあたりにないことが多い。


公衆電話がいっぱいあるようなところは、人気(ひとけ)があるので、かえって安心して寝られない。誰も来そうもないところで、のびのびと寝るのである。


歩いていても、地図上で「おもいっきり田舎の無人駅」あたりを目標にして、夕方からは「ここで歩みを止めて、寝るか」「はたまた後二駅の○○駅まで行くか」などと思い巡らす。


こっちは親のことなんて思い出さない。


親の心配なんて思っても見なかった。


でも、この地図の、電話と電話の印のついていない3日〜4日。父上と母上があるかないかわからない電話を毎夜待ちながら、「今日はどこまでいったやら」と首を長くし、雨が降っても気温が上がっても、心配をしてくれていた、ということが今は分かる。


親になって10数年。後4年もしたら、息子が同じ年になる。