1428話 へた練 2

「へた連」でなぜ上手くなってしまうのか、ということを考えています。


上手い動き、正しい動き、上達後のフォームやら技というのは、今だ至っていないので現状では実は解っていないということが言えます。


だから、練習というのは、実は目的地がよく解っていないのに「こんなもんじゃないかな」という「適当な見込み」で数をくり返しているような傾向が支配しているようです。


上達した後の景色というのは、上達前に想定したものとは違います。目的地を地図で見て、想像している景色と、実際にそこに着いて見る景色というのは常に違うようなものです。


ところが「これは正しい」ということはできるようにならないと解らないのですが、「少なくても、これは間違っている、目指すものではない」ということは誰でも解るのです。すべては解らないにしても、けっこう解る。


へたを練習しようとするというのは、実際にはどういうことを意識と身体がやっているかというと、正しさから常に離れよう、離れようとしている、ということです。


多角的に多面的に「へた」を実践していく、つまり塗りつぶしていくと、その時点のその人に可能な「正しい技」が塗り残しとなって浮き彫りになってくる。どうもこういうことみたいです。