1429話 へた練 3

へた練を体験したN田さんは、しばらく呆然としていました。


「体験した以上、この現象は確かにありますが、認めたくない思いが湧くのであります。認めると、嫌なことをひたすら我慢し、向上することなく、でもやり続けざるを得なかった私の30数年は何だったんでしょうか」


筆者答えて曰く。


「死ぬ二日前ほどに知るよりは、ましじゃあないですか」



へた練の生活への応用が一つ見えてきた。


ある一定の時間を過ごした後、「ああ無為にすごした」と後悔するという体験は、一般の方に共通して少なからずあると思われます。


「もっとこうやっておけば良かった、ああやっておけば良かった」


「また○○で時間を無駄にしちゃった…」



えてして、「この時間の理想の過ごし方」などを頭に思い浮かべつつ、しかし、身体は確実に「もっとも手を出してはいけないこと」に手を出し、からめ取られていつしか時は過ぎていく。


気がついたらいつもの繰り返し、というやつです。


へた練のメカニズムをここに応用するのです。


つまり、今からの時間の過ごし方の理想などは追いかけないのです。


今からの時間の「もっとも嫌悪感あふれる過ごし方」「もっとも手を出すべきではない行為」というものを徹底的に意識するのです。


ふっと手を伸ばした読み終えた雑誌、マンガ、テレビ、ネットなどで、なんら生産性のない時間を過ごした後、気がついたら○○分経っていた、という情景をリアルに体感するのです。


できれば「もっとも後悔する時間の過ごし方ベスト3」ぐらいを割り出せばさらに強固になります。


そうすると、心身はその「嫌悪感からの逃避」で、いささかましなことをやり始めます。それが終わって、すぐに次の「ましな過ごし方」に移行していくようなら、そのままやればいい。


次にやるべきことが浮かばない時には、「今から○○時までの、もっとも後悔する時間の過ごし方」をまたまた思い浮かべるのです。複数思い浮かべることができればできるほど、結果的に「本当は自分がやりたいこと」に近づいていきます。


これをくり返すと、理想の時間の使い方を「決心して」、いつのまにか挫折して、いつもの「後悔と嫌悪感」の事後からはかなり避けられるようです。