1458話 どうしたらいいのだ

自分が「完全とは言えないけれども、せめてこれぐらいはできている」と思っていることは、思った以上にできていない。


なんて昨日書いたのですが。。。だけじゃなかった。


ネクストの稽古会の時に、今後どうします、こうしようと思っています、と参加された方々がそれぞれの専門ややお仕事関連のお話をしていた時の話です。


その方が、まったく力を入れず、当たり前のごとくさらりとお話になる事柄には、含蓄があり、実現可能な響きがぐいぐいと迫ってきて、聴衆一同は「おおお、」とお話を伺うのでありました。


ところが、発言される方が「今もっとも意識して力を入れているのです」と高らかにお話になる言葉は、極薄で、中身が感じられず、聴衆一同、冷ややかに「だから何なの」という感じになったのでありました。


ことごとく、大多数の方にそのずれが見受けられます。


以上のことから、次の事態がおこっていることが予測されるのです。


つまり、手がけたことが大変にうまくいった時に、その成功の要因は、ご本人は自分がもっとも精力を投入した「それ」が功を奏したと思い、実際にはご本人がまったく無意識にさらりとやったことである可能性がきわめて高い、ということです。


今回多くの方々の「どこのポイントにもっともやる気と精力を集中しているか」ということをお聞きして、それ以外のことを取材すればするほど、その可能性が高いことを確認しました。


つまり「がんばるぞ〜!!」というポイントは、ほとんどの場合ずれている、ということみたいなんです。


自分以外の人のことは、ほぼありのままに見えているようです。


つまり、自分のことを何ていい人なんだ、と思っていて、他のみなさまが「なんてひどいやつなんだ」と感じているという可能性はきわめて高いのです。


なんてことをはじめて知ったわけではありません。


なのにわざわざ書くのは、「だからそうならないように気をつけているのじゃ」というポイントそのものが、すでに大きくずれている、ということを認めざるを得ないぐらいずれているらしいからなのです。


手応えを感じていることは怪しい。あてにならない。かえってバランスを崩している可能性があります。


そして手応えのないことが、実はものすごく貢献している可能性が高い。しかし、手応えを感じてることは少なく、手応えのないことがほとんどであります。


手応えのないことの中から、これが実はもっとも貢献していることだ、というものを選び出すことに成功したとしても、その際には、無意識にさらりとはできないので、それは本来の効力を失うでしょうね。


ううう、どうしていいのか解らない。


解っていないことが解った、ということなのであります。