1460話 ずれている

人に何かを頼むときには、どのような態度が望ましいか。


これは自分が頼まれる側に回れば理解しやすいようです。


頼むよ、と言っておいて、いざ始めようとしたら一から十まで細かく口を出し、始まったら始まったで方針が一貫せず、常にうまくいっていない部分のみ指摘し、すぐに結果を求められる。


段取りが上手なので、ゆうゆうとやっていたらさぼっていると勘違いして叱責され、手際が悪いのでいつもどたばたと汗をかいていると、「よしよしがんばっている」と評価される。


「こういうのはかなわないですよね」という具合に申し上げると、同意される方が多いのですが、実はこれが何かをしようとするときの、体に対しての意識の態度そのものなのです。


ということは、うまいこと活躍してもらえるように他人に任せるがごとく自分の体に任せればいいのではないか、という仮説が成り立ちます。


予算、期限、何をしてほしいのか、ただし、こういうのは困るという最低限の条件などを明確にして、はっきりと声と態度で頼む。途中もあれこれと注文を付けるのではなく、うまく進んでいるところをちゃんと看取って「いい仕事してますねぇ」と一声かける。


というようなことをサラシャンティの魚体操で試してみました。


ら、長時間疲れないし、体は柔らかいし、連動性は高いし。



するとMさんが、「腰が疲れてきた〜」と言って「うまくいかないわ」という顔をされる。


勘違いなのですね。この時は普段の3倍や4倍の時間を、ご本人悠々とされていたのですね。効いてきてもおかしくはない。



同じく、爬虫類体操の時に、私とH子さんが、Mさんの動きに思わず「お見事!」と声をかけようとした際に、ご本人は「腕の動きがわかんない〜」と動きを止めてしまいました。


Mさんの意識だけで周りの目がないままでは「魚体操は疲れて腰が痛くなり、爬虫類は腕の動きがわかんない〜」ということに登録されてしまいます。



こういう「自分がこうだ」と思っていることと、衆目が一致して「こうだ」ということが正反対ということが、Mさんにのみ起こっていて、私自身には起こっていない可能性は限りなく低い。