わたし

事務仕事がはかどらず、稽古に身が入らず、研究が進ます、アイデアが出ない時は、自分にこもっている。


はかどり、ひらめく時は、つながっている。


整体も、手を当てる場所にだけ意識している時は、「次の一手」が出ない。


相手の方の「そこ」と「そこ以外のかかわり」にうまくアクセスした時には、受けている方の変化がどんどん出てくる。


私は、「私」というものがあると思っているが、私が他人を見る時には、その人個人ではなく、私とのかかわりの上でのその人を見ている。


その人も私個人などは見ず、その人と私の関わりの上での私を見ている。


個々の関係を超越した「真の私」というようなものがあるのかもしれないが、私にとっての問題は、「ぐ〜たらした私」が「ましな私」になることなので、そういったものの追求にはならない。


整体教室の稽古も、「関わりに通していく」ことをメインにする。




時々山に行き、秘密の川原に行き、清流を眺め、時に顔を洗い、飲み、泳ぐ。


今までは、個人に帰る時間かと思っていたけど、そうじゃなかった。自然と交流している自分に会いに行ってたんだ。