私は、何をする人ぞ
年明けから、なにやら背骨がすくっと立っている気持ちよさの筆者である。
筆者は、目標を立てると頓挫し、計画を立てると挫折する。
ゆえに、目標を立てると達成し、計画をたてるとすいすいはかどる方は、以下は読まない方がいい。
そういう方々は、目標の立て方も計画のしかたも、すでに長けているのである。
だから、そういう方々の表面だけを真似してもうまくいかない、ということは過去48年の人生の、おそらくは小学校入学後の何年生かの時期に、「なつやすみのけいかく」などを書かされたあたりから、つねに確認済みである。
過去「へたれな僕は、計画するよりもひたすら記録した方がいい」作戦を実行し、良好な結果を得た。
今年は、筆者が、「こんなふうになりたい、こんなふうでありたい、こんなことをしたい」ということを実現させるには、とりあえず「これとこれとこれとこれはやらないとまっ、無理だわな」ということを書き出した。
で、今日一日でそれらをどれくらいやったのか、ということをリアルタイムで分単位で記録し続けた。
とりあえず、全部には手がついた。
記録することで「怠惰な時間、自堕落な時間、今やらんでいいのに、やらんでいいことに費やしちゃった時間」というのは、昨日までよりも圧倒的に減少した。
電車の中でも、徒歩中も、ほぼ全部「それらの大事なこと」に費やした。
で、「これとこれとこれとこれはやらないとまっ、無理だわな」のそれぞれにかけた時間を書き出したら、まあ、おっそろしく少なかった。
項目はそろったけれど、絶対的に量は少ない。足りない。
筆者の「思考」がつむぐ『私がそうなっていないのは、単にまだやっていないからであり、やりさえすればもっとましになっている』という思いは、やはりやっていない私のたわごとだったのである。
やろうと思っても、全然時間が足りないじゃないの。
「やった方がいい大事なこと」をやる意識でいたら、「その中には入っていなかったけれど、やる必要性が高いいろいろな雑多なこと」がとってもたくさんあったことにも気づいた。
私は、私がどういう一日の過ごし方をしているかさえ、知らないのである。記録を見返してびっくりすることがたっくさんあるのである。頭の印象と、実際の事例はかけ離れていることだらけなのである。
はい、明日からまた出直し。