福井幹(つよき)さんのコンサート
21日に神戸サラシャンティで、福井幹さんのコンサート。
【神戸サラシャンティ】
夕方早くまでが、大阪道場での特別講座なので、(ほぼ定員です。お申し込みまだの方はお急ぎ下さい)、筆者も、その後でつよきさんのコンサートに参加の予定です。
福井さんが、いかなるミュージシャンなのか、というのは、過去のブログの中からわかりやすいのを一つ下に貼り付けました。
2008-09-19 1261話 整体的演奏にぐわんぐわんする
午前中和歌山で一仕事し、午後から大阪へ移動して夕方の早い時間からの整体の後、神戸へと急ぐ。
しかし、筆者がいくら急いでも、電車の速度は一定なので速くならない。
今日はK子さんが勤務し、しょうこさんがやっている神戸のメニームーンで横笛の福井幹さんとハープの小川由美さんのコンサートである。
王子公園駅から徒歩8分とのこと。
あまりに急いだためか、お店から5メートルの信号で8分に達しておらず、まだ6分台であった。
信号の向こうにそれっぽいお店の看板の光なども見えた。
ために筆者はお店のすぐ横を脱兎のごとく駆け抜け、さらにくだんのお店はただのスナックだったので、さらそこも一気に通り過ぎ、するとみるみる道は急坂になって山を登り、道行く人もいなくなってしまった。
ということで10分ほど無駄に費やして会場へ。
福井さんカリンバの演奏最中。
あれま。
身体中を気持ちよくたたいてもらっているような感触。なぜか笑いがこみ上げてくる。
さらに、由美さんのハープと福井さんの横笛。
読者のみなさまの理解を得ることを断念し、感じたことのみを書き連ねる。
いい音楽は整体だ。
筆者の押圧・整圧は、福井さんの笛に残念ながら遙かに劣る。
小細工を廃し、澄み切ればもっともっと深く浸透する整体になる。もっともっと邪念・邪心・細工・小細工を捨てねばならない。
澄み切れ、澄み切れ、澄み切れ、澄み切れ。
ピュアであれ。
このお二人は整体である。
由美さんのハープは左手である。受けであり、受容であり、包み込みであり、ベースである。
これがあって、福井さんの右手的浸透する笛の音が生きる。
このお二人によって、目指すべきものの形が一つ見えた。(ような気がする)
ありがとうございます。
押さえるのではないのだ。ふるわせればいいんだ。通っていけばいいんだ。届けばいいんだ。
共鳴を起こさず、通らず、届かないならやらない方がいいのかもしれない。
考えるな。感じろ。つながれ。「それ」に任せろ。
伝えようとするものがあるとき、楽器は「型」だ。
楽器は変わらない。変わる必要があるのは人間だ。
その笛のもって生まれたものに、人間の方が規定されるのだ。
それがあるレベルを超えると、家の前に生えていた竹を切って穴を開けただけのものが、空間を制する力を持つ。
うわっ
澄み切り度にしても、共鳴度にしても、型の創出度にしても、全然できてないぢゃないの。
福井さんは、いわゆる音楽教育を受けていない。
カリンバもギターもピアノも横笛も、独学だ。独学というよりは独楽だ。
ひたすらその楽器と対面し、対話して身につけた。
身につけたのはテクニックではない。
ひたすらおのれをなくすことを技として身につけたのだ。
音楽はどこからかやってきて、福井さんを通過して、楽器を通って聴き手に届く。
演劇塾のみなさんと一緒に聴き、一度体験を共有したいなと思った。
演劇塾でやれたのは、演じようとする意識にお休みしてもらって、登場人物そのものがそこに現れてくる、というところまでだ。
多数の観客と対峙して、その空間そのものをとらえるレベルのものは、まだまだ出ていない。
う〜。
ぐわんぐわんする。