手ごたえ

人は意図的になるほど、意識してやろうとするほど、「やる」のではなく「やっている手応えを作ってしまう」という現象について連日書いております。


場面を変えれば「変わりたい、変わりたい、変わるぞ、変わるんだ、がんばるぞ」と意識している人ほど、「変わろうとしている手応えを作って、その実現在地に固着してしまう」という現象を招きます。


実技実習の際に、日常の自分を変えよう変えようとしている傾向の強い人ほど、自分で考えたり行き着いたりした方法を試そうとして、自分の想定の外にある「フィット感」や「相手の人に届く快適さ」と出会わなくなります。


別に意識してやるのがダメだと言っているのではなく、それとは別に、意識しないで変化に気づくことで次々に次の変化に乗っていく、というサイクルを経験してくださいね、という昨今の授業なのであります。


今、うまくいってすいすい行っているのならば、どうぞお続け下さい。


うまくいっていない自覚のある方は、どうぞ新しい回路と出会ってください。だいたい、うまくいっていないのは、身に付いた行動や思考の回路が、うまくいかない回路を採用しているのであるのだから、その回路で計画したり、意図してるものが「うまくいく方法を採用している可能性」は、とりあえず「低いんじゃないかな」というところに仮置きして、今までとは違う回路を「試験採用」すればいいと思うのであります。



「手応えがない、という手応えが、手応えになる」というというところまでくり返すことで、手応えを求めるパターンを「矯正する」ことなく、気がついたら変わっている、というところに持ち込めないかな、と思っている。


が、油断すると「手応えがない、という手応えは、たぶんこんな手応え」という「ねつ造手応え」をつくってしまうかもしれない、という落とし穴が待っている。


という落とし穴を回避しようとすると、「たぶんこうやって回避したという手応え」をねつ造するかもしれない。


なかなか、手ごわい。


と認知してしまうと「手ごわい手応え」を作ってしまいかねない。


「だったらどうしたらいいんですかぁ」


という問い自体が、意識的な対処をしようということなので、お気をつけ下さい。