11日〜13日

11日 


家内より「何もしていないのに、突然足首痛で動けない。こんなのは肩を粉砕骨折して以来!」の助けてメールが届く。帰宅して手当をすると20分ほどでスタスタ歩く。安堵する。


12日


道場、南森町、王子公園、板宿で整体。合間をぬってぱこぱこと次号会報原稿を書く。


13日(土曜)


「首から腰まで、6エリアお疲れマップ方式」を実施。


後3分で「皮下チューニングは終わり」と決めると、およそ半分を切ったところで、受けているみなさんの「快適な状態復活速度」がいきなり上がる。チューニングにも「納期を決めると良い」という面がある。



朝と夜のクラスでは「ぞうきんがけ 力の出どころ調査方式」の稽古が楽しい。



この方式でぞうきんがけをすると、疲労が取れ、肩関節が柔軟になり、整体が上達し、武術の技ができやすくなるというもの。


これは「掃除機かけ」でも使える。「ついでに」木刀の素振りでも、杖術の素振りでも格段に振りが変わってくる。


「いかにもそれらしい稽古」よりも「ふだんなら『しかたなくやる』というたぐいのものが、実はものすごく効果的な稽古だった!!」という面がとっても大好き。


それはけっして「人が嫌がることを、あえてやることで精神面が鍛えられる」というような切り口ではない。


だって、教えている私が「人が嫌がることをあえてやって、精神面を鍛えた」というようなことは過去一切やっていないのだから、そういう切り口では決して教えられない。


「人の嫌がることを、あえてやって、そんなこと長続きしないからあっというまに挫折して、精神面の弱さを思い知った」という経験なら豊富にある。



最近は「体罰」になって大騒ぎになることもあるらしいけど、「正座させて話を聞かせる」「罰としてグランド10周」とか「「罰としてそうじ」というような図式がある。


「正座」「掃除」「走らせる」というのは、身を整える上ではとてもいい行為である。「罰としてやらせる」というフレーズとセットになったため、それらは「嫌なもの」というレッテルが貼られてしまったが、それでは正座や掃除やランニングに対して、とっても失礼である。


「苦役の回路」でそれらと取り組むと、たしかに「苦役」になる。


が、整ったカラダで正座をするとこの上もなく気持ちがいい。ランニングにしても、筆者の「いかにして自転車に乗っているかのごとくなめらかに走るか」の後は、歩いていても、明らかにカラダの各部分のつながりがしなやかで強いものに変わっている。


そして、ぞうきんがけ。昨今繰り返し練習している「力の出どころ調査方式」をぞうきんがけでやるだけである。もともとは「おふろ洗い」の際にやってみて、とっても気に入ったのでぞうきんがけとして紹介したものだ。


「力の出どころを調べる」「動きの根っこを感じる」の方式は、剣やラケットなどの素振り、突き、蹴り、愉気の(手当)、おふろ洗い、ぞうきんがけ、掃除機かけなどとは非常に相性がいい。抜群にフォームやキレやスピードやカラダが変わる。


「歩き」「走り」「立つ」などは、手ごたえは感じるものの、前記したものの劇的な効果とは差を感じる。


物差しの当て方にもっといいものがあるに違いない。楽しみである。



夜、会報の原稿を仕上げて、S本さんに送る。