お隣力

「ともだち方式」が、好結果を生み出しています。


いままで「うんうんうなって」時間をかけて変化しなかった人の部位が、すこすこと動き出します。


こわばりそのもの、その部位だけを対象にするのではなくって、その部位と境界線、お隣、ご近所、つながり、連なり、そういったものに対象を拡大しただけです。


私がもっとも変化を呼び起こせない母上にも、明確な変化が出ました。


こうやって、結果が出るようになってから考えると、こわばっている部分は、それなりの事情があって、こわばっているわけです。その事情の中に、周囲、お隣、ご近所などの関係がまったく影響していないと考えることの方が不自然に思えてきます。


もちろん、言葉ではそういうことを口にし、狙いの中には入っていましたが、はっきりと見定めたわけではなかった。端的に言えば、思ってはいたかもしれないけど、やってはいなかった、ということでした。


実際に道場の訪れる方の、身体症状は実に様々ですが、いわゆる「ストレスの原因」となると、これはもう大半が人間関係が絡んでいます。親兄弟、家族、肉親、上司、部下、同僚、顧客、取引先、親戚、友人、知人。


思い出すのは、先日の視野の変化です。腕が末端を力ませて使っていたところから、深く根本や体幹部から動き出した(といっても、たぶんまだまだなんでしょうけど。どれぐらいまだまだかというのは、次の段階ができるようにならないとわからないのですが)ら、気がついたら、目も目先で見ずに広い視野を無意識にとっていた、という体験です。


腕の変化が目の変化と連動したように、体の中が仲良しになったら、周りとの関係というものも「仲良し」に変化するのではないか、ということです。


周りとの関係に変化をもたらさないようなら、まだまだその整体(または授業)は、本当にその人を変えていない、ということではないか。



今ひとつ思っていること。


いわゆる仕事などで、もっと事態を好転させていく、という際にも、この体の中で起こる「問題そのものではなく、そこと周囲の境界、お隣、ご近所のどこへならつながっていくか」をきちんととらえると、まるで最初から問題がなかったかのように急速に深く変化する、という現象が、きっと使えるだろうな、ということです。


まだそこまでです。いくつかの断片的なデータが、結びつかないでゆらゆらしているだけです。追いかけます。