問題解決

こりを包んだ指先を、「ともだち化しよう」としても、指は途方にくれる。


そりゃそうです。私の人生の中で、こりとその周辺部を「ともだちにした」経験などないのですから、どうやっていいのか分からない。


分からないくせにやろうとする。


何をやるかというと、私がそこを「ともだち化している気分になる手ごたえ」を作るという作業です。相手のそこが「ともだち化するかどうか」は関係ない。見事に欠落しているけれども、「見えにくいものは気になるけれど、まったく見えていないものはまったく気にならない」という恐怖の現象によって、せっせと意味のない手ごたえづくりに邁進してしまいます。


ゆえに、安心して「上達しない作業」に没頭し、「奥が深い」などと気休めを言えるのであります。


ところが、「私はともだち化するにはどうしたらいいか」は知らないにもかかわらず「とーもだち・とーもだち」と唱えると、そのとたんに指先が微妙に角度を取り始める。海の中で波が来た時に、カラダが自然に波に持っていかれるように、指が動き出すのです。


そこで大事なのは、波が来た時にそれに逆らわずに乗る、ということ。


すると次第に相手のこわばりと周囲の「緊張関係」に変化が起き、その変化し、やわらぎ始めた状態に対応してまた指の角度が変わったり、包囲網を狭くしたりといったことが続きます。



どうやればいいのか、というストーリーは見えないのですが、からだにテーマを与えて、変化に乗ると「最初の一手」が出てきます。乗ると次々に「次」が出てきます。


問題というのは、解決できていないから問題なのであって、解決できる方法が身についていれば、問題は問題にならない。さっさと「処理」して終わりです。解決できてないから、いつまでも問題として残っているのであります。


だから、問題を解決しようとするよりは、私はこの問題の解決方法を知らない、というところから始める方が長い目で見た時には適切ではないか、と思われます。


そこで、「解決の方向性」というものは選んで、それを自らに投げかけて、そこで出てきた動き、行動、発想、思い浮かんだことなどに速やかに乗っていき、その結果新たに見えてきたものに、乗り続ける、という方法がどうだろうか、と思っています。


コリというのは、大きさや形が分かりますから、その部分に、「解決の方向性」としての「ともだち化してね」というのを投げかけるというのは易しいです。


しかし、日常の問題というものを、大きさや形や質を特定することや、解決の方向性の「気の利いたもの」を見つけるというのは、それよりも難しそうです。試行錯誤の数がいりそうです。


しかし、それができたら、これはとってもとっても魅力的なものを手にしたということになりそうなので、今いくつかの「問題」でそれを試行錯誤しています。


「これだ!」という具体的な手順がみつかったら、このブログでぜひ発表して読者のみなさんにも、と書くと誠意あふれる人のようですが、私は悪意あふるる人なので、そんな大事なことをほいほいと人様にお話するのはもったいないので、きっと「今だに見つかりません」というような顔をして黙っているに違いありません。