精神力虚弱体質の改善

「今日は休みで時間があるから、○○をやろう」と心に浮かんで、しかし、いっこうにその○○に手がつかず、無為に時間を過ごして一日が終わり自己嫌悪に陥る、なんてことがある。


この人生の中で数限りなくくり返してきた。


しかし、この二ヶ月半の間、休日に「せっかくの休日を無駄にした」ということがまったくなくなった。


筆者は、別に「精神力を強化する特別プログラムを受講」したわけではない。身を切るようなつらい滝行をしたとか、灼熱の護摩行に耐えたわけでもない。


しかし、結果として充実した有意義な休日を過ごしている。


筆者の、いわゆる「精神力の強さ」という言葉が指すような「理不尽な状況にも平然と耐え、一度決めたことは貫き通す」という能力は、たぶん100点満点の50点以下である。嫌なことはできないし、つらいことはとっとと避ける。


そういう意味では、きわめて精神力が弱い。


しかし、この問題を「精神力の強弱」という一つの物差しで測るから、筆者のような「精神力虚弱体質」には救いがないのであった。


「強い」=いい 「弱い」=だめ という尺度から抜け出し、一つの特性として見直してみると、景色は俄然変わってくる。


「決めたことをやり通す」という言葉がちまたでは美徳として闊歩しているが、これは「その決めたことがたまたま正しかった人」に対しての後追いの賞賛として使われていることを忘れてはならない。


 回りから見て、あきらかにその選択が間違っていると思われる場合には、精神力が強いとは言われず、頑固だとか融通が利かないと評される。


 しかし、ちまたに「精神力の強い人はとってもいい人、偉い人」という賞賛の声が満ち満ちているため、いつのまにか「決めたことをやり通さなくっちゃ」というワクに自分をはめてしまう。そして、「さあ、今からとっても価値のある、やり終えれば満足感のあるこれをするぞ」と決めてしまい、決めたからこそ、「途中で投げ出した」とか「挫折した」という落とし穴に落ち込むのである。


こういう問題に、精神力虚弱体質の筆者はどのようにかかわれば、結果として「いい結果」が出せるのか。


まことに簡単な方法であった。精神力の弱さは、なんて使い勝手のいいものだったんでしょうか。


つまり、今から「これをやるか、やらないか」の二者択一の構造の中に身を置くからいけなかったのである。


悶々とするのは、即座に実行に移せないような「めんどうくさい要素があるもの」に決まっているので(そうじゃなかったらもうやっているでしょ)、二者択一にした場合に、その精神負担的重量比は4:6ぐらいで「やらない」に傾く。


くりかえす。やるかやらないか、のスタートラインにつくから、シーソーはやらないに傾くのである。


解決策は簡単であった。


軽重いろいろと「やりたいこと」「やった方がいいこと」「やると気持ちいいこと」「達成感のあるもの」「手をつけるだけで自分をほめたくなっちゃうようなこと」を並べるのである。


やるかやらないか、の狭い場所に身を置かず、「これとこれとこれとこれとこれ」のどれをやるか、の広い選択肢に我が身を置くのである。その「これ」の中に「やらない」という選択肢も入れておくのである。 


すると、上げたものすべての合計と「やらない」の精神的重量比は8:1ぐらいになってしまうのである。


「これをやるぞ」と決めると、「やらない」が巨大化するのに対し、多数の中の「どれをやる?」にしたとたん、「やらない」という選択肢はほとんど影響しないぐらいに小さくなる。


 蛇足かもしれないが、決して「5つのことを今日やろう」と決めれば成功する、という話ではないので念のため。


 5つのうちのどれをやるの?という問いかけから始めると、その精神力の弱さはたちまちその特性をプラスに発揮させる。魅力的な5つ6つの事柄を無視して、「いいえ、何にもやりません」という選択肢を選べないのである。だって、この状況で「何もやらない」を選べるとしてら、そうとう精神的に強い人である。


決めるから挫折する。計画するから計画倒れになる。


やるかやらないか、という余裕を設けず、どれやんねんという態度で我が身にのぞむのである。


本当は「やらない」という選択肢もあるのだけれど、それがかくれてしまうぐらいに「やること」を並べるのである。ほんと、あっけないぐらい「これをやる」と選ぶ。


選ぶといっても、これこれ考えるヒマがあってはいけない。体が選んだ方向性にそのまま乗っていくのである。


考えるというステップを省略し、次から次に「次はどれをやるの?」と問いかけを続けて、体が付いてくることをただやっていくと、気が付いたら「やろうと思っていたことがことごとく終わっている状況」が生まれているのである。


そこに精神力の強さは必要ないのである。




という一文を読んで、「よしさっそくやってみよう」と決心すると、たちまちまたもや「二者択一のわな」に陥る。


これを機会に前々から試そうと思っていたことも一緒に並べて、そのうちどれを自分が選ぶか、を試してみてはいかがと書いているのである。