見舞いにいく

午前中和歌山自宅での整体に来られたMさんが、


「ご存じですか」


と共通の知人であるS先生が、脳内出血で入院中との知らせがS婦人の「くん」からあったと知らせてくれた。


家内に連絡してくんから病院を聞き、甲山にあるK病院へ。


病室に行くと「リハビリ中」の表示があり、親切な看護婦さんが終了時間を調べてくれ、「じきに帰ってきそう」という時間だったので、そのまま病室で待つ。が、待てど暮らせど戻ってこない。

しばらくすると、またその親切な看護婦さんが


「まだ戻られませんか?」


「はい」


「七階の談話室か、リハビリ室で残って自主トレかもしれませんね」


というので、リハビリルームへ行くが、広いリハビリルームにはいない。同じフロアを探検したら、もう一部屋あって、そこでSさん「せっせとパソコンを打っていた」。


「どこが脳内出血やねん」


骨の髄まで教師であるSさん、阪神大震災の時も、四日目に自宅に駆けつけたら、やはり「当日の記録」を書いていたけれど、今回も「驚異的な回復で」「数週間前までだらりと麻痺していた手」だったが、動くようになったのでリハビリを兼ね、「発症から今日まで、こうなった、ああなったの記録」の過去に手書きしたものを、せっせとパソコンに打ち込んでいた。


「ああ、何がどうしたかってのは、これ読んでもらったら分かるわ」


と、4月22日以後本日までの時系列の詳細な記録を見せてもらった。


直径4センチ、厚さ2センチの


「小型のハンバーグぐらい」


の出血であったので、一ヶ月半で「イスを片手で動かそうとしたら手首が痛む」程度の後遺症というのは、やはり驚異的で


「3つも4つもたまたまが重なった、とっても幸運な結果」だったというお医者さんのコメントは、私も、とってもそう思います。


病院というのは、夙川から上がった甲山にあって、その7階からは西宮市内から広く大阪湾岸、晴れた空気の澄んだ日には和歌山が見えるんだそうだ。


おお、西宮神戸間の「セレブな方々」というのは、日夜このように下々を見下ろして生活しておられるのですね。


いよいよ帰るという段になって、一階ロビーの電話でタクシーを呼んだら、タクシーの到着する地下までSさん、先に立ってとっとと階段駆け下りていかれました。


ということで、「入院以来、最初は動かなかった体の状態を除けば、ここ数年こんなに快適で快調な日々はない」とのことで、今しばらくは、下界を見下ろして、別荘気分なのであった。