15分の力
新しい環境に脳(神経回路)が慣れるまでには5分かかると聞きました。
たとえば、一般道から高速道路にあがって、そのスピードに慣れて、視界が安定し対応が適切になるまでそれぐらいかかる、ということだそうです。
これをトレーニングや稽古で考えれば、5分以内に中身を変える稽古は、上達のしようがない、といことになります。
その稽古で要求されている速度などの環境に、脳や神経の情報処理の回路が切り替わらないうちに変えてしまっているということになるからです。
だったら5分やればいいかということになると、そうはいかない。
5分で終わったら、脳が切り替わった瞬間?ようやく慣れたという瞬間に終わってしまっている、ということになります。
慣れるのに5分かかるということは、そこまでのトレーニングは「まだ慣れていない私と私の身体」がやったトレーニングだから、動きの質は別に良くなっていません。
5分経って、慣れた身体が「ましな動き」を連続して5分ぐらいたって「ましなレベルに慣れた」という状況になるわけです。
からだに、あるテーマ(一体化とか胸のライトとか)をかぶせて歩いていると、10分後ぐらいにいきなり歩き方が変わる、という現象があったところから、上のことを思いだしました。
だから、10分連続して、その集中した状態を続ければいいんだ…ということにはやっぱりなりません。
10分連続して次のステップにいくとする。けど、それは付け焼き刃だから、やめたらすぐにもとに戻るレベルです。
もう一段負荷を上げて、次の次のレベルまで引き上げて、そのレベルに慣れた状況までいって初めて、前の段階が「あたりまえ」のレベルとして定着する可能性が出てくる、というようなものだというのが今の手ごたえです。(だから私もできているわけではありません。その手前をうろうろしているのです)
瞑想をする。とします。
最初の5分は雑念の中、
たまたまその時にとってもうまく集中できたとして、次の5分が初めて「瞑想している」と言ってもいいかもね、というところに行ったと言えるわけです。それまでは「雑念と遊んでいる」だけで「瞑想している」わけではないんです。
そこで、さらに集中しづらい状況に放り込んで5分。うまくいってなんとか新しい雑念の波を静めることができた、として、初めて第二段階が身につく可能性が出てくるかな、というような説明になろうかと思います。
だから、本当に集中できたとして、一つのセットが15分。
「なるほど、15分やればいいんですね」
ということではありません。
本当に高速道路に乗ったぐらいに、明らかに質が変わってそこで10分、さらに「超高速道路」に乗り換えることができて、そこでさらに5分で慣れるというレベルまでいったら、高速道路の感覚が普通になる可能性が出てくるかもねと申しております。
一つことを、本当に5分集中することでも難しいのです。土曜日の稽古でも、ものの1分もたたないうちに中断し、あれこれ自己流の解釈で違うことを始めます。
最初の5分間を集中して同じ事をやり続けた人は一人もありません。
高速道路の速度感を身につけようとしたら、超高速道路に慣れるところまで行かないと無理なんだなあ、ということです。
でも自分も含めて、高速道路を走っているつもりで、実は勝手に道路脇に止めたり、サービスエリアで休憩したり、一般道の速度で走ったりしているのが稽古の現実です。
だから、今の15分の話は、高速道路を降りているのに、気づいていない間は、まったく使えない話だ、という実は身も蓋もない話なのです。稽古をしているつもりで、迷走していることが実感できるようになった後の話です。
こういう結論の話を書くつもりで書き始めたのではないのですが、そういう結論になりました。