理解する 2

さて、時代小説が好きで、いろいろと読む。登場人物の魅力、後味の良さ、味わいの深さなど作家によっていろいろな魅力があるけれど、そのストーリーの、奇想天外なくせに、ちゃんと史実とつじつまの合うように構成されたおもしろさは、なんと言っても隆慶一郎先生の作品である。はずれは一つもない。


仕事盛りに亡くなられたので何冊かは未完である。話の結論がないまま唐突に終わっている作品もある。それでも、そこまででもおもしろい。買ってしまった。未完と知りながら読み返している。


というので、1〜2年に一回、前に読んだ感触を忘れた時に全作を一気に読み返す。


名作・影武者徳川家康を読んでいた時である。古本で買った本なので最近発刊のものよりも文字が小さい。自動車運転免許宇は「眼鏡なし」でクリアする視力の筆者であるが、小さい文字はいささかてごわくなりつつある49歳である。


時代小説なので、漢字が多い。「津山藩江戸屋敷側用人小笠原左近将景時が(この文でたらめ)江戸城西の丸にある梶原権野左右衛門忠親の屋敷を訪れたのは、天保三年十二月…」なんていう具合にほんとひらがながない行が延々並んだりする。それも活字は小さい。読みにくい。理解しづらい。


ぐいぐい読めない。


ストレスである。
 

カバーのところに著者の写真がついていた。
 

そこで私は考えた。


私が、私のままで読むと、理解が遅くぐいぐい読めないが、私が隆慶一郎になって読めば理解度が上がり、読むスピードが上がるのではないか、と仮説を立てた。


整体をする際に、整体を受ける人の身体をスキャンして、その時の相手の身体の状態を我が身に感じるのと同じように、写真を元に隆慶一郎になってみた。


作戦成功である。変わった。効果があった。


隆慶一郎化して読むと、それまでいかに多くの単語を読み飛ばしていたかということがわかった。今まで読み飛ばしていた単語がほいほい目に飛び込んでくるのである。


後日、現役国語教師のM安先生が道場に来られた時に、その「著者の身体性を再現することによって、いきなり理解度が向上する」を体験してもらった。


少々のことでは動じることなく、筆者に対して敬意を払うことのないM安先生であるが、この時はしばし絶句し、マジになり、言葉がなかったのである。


気を取り直したM先生曰く、「いきなり文字と仲良くなって、意味がスイスイと飛び込んでくる」というのである。


実験は成功し、…しかし頓挫した。


だって、著者の身体性をスキャンした後、別の人に上書きした時にしか「理解度が増した読み方ができない」というのであれば、結局誰もできないのと同じだからである。誰かが理解の深い読み方がしたいと思うたびに、私がそこまで出向かないといけないじゃないか。


以後、この「著者読み」の効果を、「著者をスキャンすることなくその効果を再現するにはどうしたらいいか」ということを日夜研究すること二週間。


一つの解決策を見つけた。実に簡単である。


それが「○○読み」である。


これは、その方法を伝えた人ほぼ全員が、独力で、その場で理解度のアップと読書速度のアップを体験された。


なぜそうなるのか、というのは「著者読み」も「○○読み」もおそらくほぼ同じ理由である。
 

その原理については次回(たぶん)