理解する 3

「○○読み」というのは「書き読み」である。


わざわざ著者の身体性にならなくても、読みながら、もう一つ今読んでいるその行に、さらさらとペンを走らせる身体性をつくってかぶせる。これだけで、読み方が変わる。


ただ、これを読んでいる方が、さっそく確かめてみて、さほどの変化を感じられないことも予想される。


この「実際には書いていないけれど、あたかも書いているかのような身体性で読む」という際のコツだが、ペン先をちまちま動かしている程度だと、たぶんほとんど変化は感じられない。(あと、あまりゆっくりだとかえって効果がないことも体験した。ふだんよりも速く読んでしまうという現象を体験した。)


より体を総動員して、「本気で書く度合い」「統一度」が上がってこないとたぶん効果はわからない。


※ただし、架空の手のペン先が実際に読んでいる部分の文字をなぞることは不必要。そこまで行くと、本当に「書く」になってしまって、読み取れなくなる。とうてい書けない速さで書く方が、読み取り能力が総動員されるようである。


より「読むぞ〜」とやるよりも「ペン先がさらさらの身体性」の方が、複数の単語が目に入ったり、前後の脈絡・つながりが明確になったり、文字がはっきり見えたり、有効視野が広がったり。要するに「理解度が上がった感じがする」のは何故だろうか。


二回前に書いたように、理解するというのは入力行為ではなく、入力されたものに、すでに自分の中に用意されたものを合わせて「ふんふんこういうことなのだ」ということを出力してきて作っていく。


脳というものは、実はさほど賢くなくて、実際に起こっていることと思い浮かべていることの差がわかっていない、なんて面もある。


そういう面があるから、スポーツの「イメージトレーニング」というものが効果を持つのである。


で、「書き読み」である。


「読みながら、書いている身体性をかぶせる」という表現よりも「書いている時の体感を持つ」という方が近いかなと書きながら思った。


「思い浮かべている(体感を得ている)ことと、実際にやっていることの違いがよくわかっていない」私の脳である。すると、非常に単純でだまされやすい私の脳の処理機能の一部は、書いている体感を得ながら文字を目で追っている私の今の状態を「もしかして、これは私が今書いているんじゃないかな」と思い始めるようである。


文字を見ながら、そこでペンを走らせている身体感覚をキャッチしている脳としては、それがもっとも自然な理解である。


しかし、である。そこで浮上する問題がある。


通常、自分が書いている文章は、自分が書いたものなのだから、自分で読んで何を書いているのかわからないということはあり得ない。


昔書いたものを読んで、「へえ、俺ってこんなことを書いてたんだ、いいこと書いているんだなあ」と感心することはある。書いたことを忘れているのである。しかし、それはさほど問題ではない。書いた自分は過去の自分で、読んでいる自分は今の自分だからである。
 

しかし、今書いている文章を理解できない、という事態は重大問題である。それを許すと「私は狂っている」ということになる。


脳としては、絶対に認められない事態である。自分というものが消失してしまいかねない。故に脳は、今読んでいる文章を理解するレベルを、「自分が書いているものを理解している時のレベル」に近づけるべく、できることを総動員する。
 

たとえば、昨日書いた「ものを見て、そのものをより理解するために、身体感覚を動員している」ようにである。扇風機を「本気で見る」時、知らず知らずに首と頭で扇風機と同じような形を作って、それを感じることで、扇風機の形態を身をもって理解するようにである。使えそうなものは、何だって使って理解度を上げるのである。


そういう「総動員」のレベルをあげるためには、「書いている体感」がリアルであり、「書き方」が本気であり、「書く体」が統一体であるほど、ますます脳は「これだけ本気で書いている文章を理解できない状態は絶対に認められない」ということになるのであろう。


そういう現象が脳の中で起こっているんじゃないかなというのが、筆者の勝手な仮説である。この現象は日本語に対するものだけなのかと思い、英文を読んでみた。やはり理解度はアップする。英文でさえ「俺が書いている以上はわかるはずだ現象」が起こるようである。


蛇足かもしれないが、この方法で理解度が「増す」と書いているのであって、どんな難しい文章でも「理解できる」とは書いていない。


難関大学のレベルの模試の国語の長文を読んでみた。今までの読み方と「書き読み」の二つの読み方で、書かれていることが頭に入る量と質はあきらかに違う。が、著者が何を言いたいかということはさっぱりわからなかった。


私は受験生ではないので、「それでもわからない難解な文章」は、即座に視界の外に追い出すので、まったく問題にならない。ははは。


 ※受験生は、そうやって理解度を上げた読み方で、難しい文章を山ほど読む必要はあります。(でないと、自分の中の引き出し用ストックが増えませんから)人生それほど甘くない。


 ※M安先生へ。
  ということを先週の土曜日お話しようと思っていたのですが、近鉄電車不通のためにお話できずで残念でした。
  あくまで仮説ですが、それをベースにして、研究を進めていただきたいと思います。
  ためさんもよろしく。