HSY高校 見学の先生方へ

読書速度の遅い人というのは、頭の中で音読をしてしまうことで、読み取れる速さを制限してしまっています。


通常は、現在の速さからスピードアップしていくものという常識にとらわれていますが、この訓練法は、逆にとうてい読み取れない速さから始めて、カウントダウンしていくことで、潜在能力を引き出していく方法です。


スポーツの世界ではハイレベルを目指すには、現状に負荷をかけていく、という方法が常識です。できることからできないことへという流れです。


もちろん、それが主になることは確かでしょうが、一方では「到底できないことから始めて、どこまで落とせばできるのか」という方法もあり、かつそれが「神経系」の場合は、体験されたようにきわめて有効です。 


訓練を続けていくことで、5倍とか10倍の速度で理解しながら読み取れるようになっていきます。


身体表現の授業に取り入れたのは、そのまま学習のための基礎力を向上させることにもつながるということと、続けていくといわゆる「右脳感覚」が育つので、ものの見え方や聞こえ方や感じ方を変えることができるという二つの理由です。


訓練そもののが「動体視力の向上」の体裁をとっていますから、スポーツに使われる感覚としても有効です。ただ、そういう「勝ちにつながるからいい方法」という視点で進めたいという訳ではありません。 強い負荷をかけて、それに耐えて強者になるという以外の、もっと本来の意味で「体を育てる」という体育の可能性を拓く見方に加えていただければと思います。



 回転と直線の関係(左手グッドの法則)


 一見不思議な現象でまゆつばに感じられるかもしれません。

 しかし、たとえば、日常生活で当たり前に使っている電気というものも、もとはといえば「磁石を回したら、規則的に電流が発生する」という現象を使いこなしているだけのものです。


実際に「電気とは何か」という根本的なところはまだ諸説あって定説にはなっていません。 電気というのは「電子の流れ・移動」というところまでは一致していますが、どこの電子がどこにいっているのか、というのは実はまだ学説として確定していないそうです。


ただ、電気の使用法と制御法が著しく発達していているので、一般の人は「電気というものが解明された上で使いこなしている」と勘違いしているのが実際のようです。


ですから、今回やった「円=渦巻き運動」と「直線=力の流れ」というものも、使いこなし方と制御の仕方を地道に積み上げていけばいいものだと考えています。


矢印による意識誘導で、柔軟性が画期的に向上しました。腕相撲の強弱が変化しました。でもこれは「柔らかくなった」のではなく、「もともとそれぐらいは股関節が開く体なのに、その運動をする際の回路が間違って能率の悪いものを使っていた」とか、「意識の使い方が不適当だった」とは考えられないでしょうか。


股関節を開こうとするには、「開こうと思うことだ」と誰も疑っていないでしょうが、実際にやってみると上りと下りの意識の方が結果が明らかにいい。無理がない。


ということは、意識の方が勝手な思いこみで間違っていたということになります。学生スポーツ(プロも同じかもしれませんが)のけがの多さの背景に、そういった「勘違い」が一因になっていないでしょうか。


 「意識が体を動かす」というのは、脳科学の見地からいうと、すでに否定されています。「こうしよう」という意識が生まれる前に、脳の中ではすでに次にやる行動の運動領域が動き始めているのです。時としてそれは一秒以上前に起こっていることさえあるのです。


 一見意識が体を動かしているように思いますが、実際にはストライクを入れようとすればするほどコントロールが乱れ、当てようとするほど空振りをします。


意識で体をついてこさせようとする「無理強いの世界」(しかもむくわれない)から、「無理なく自然で強い力を発揮できる体の動きが、自然に導き出されるための意識の沿わせ方」というようなものが、もっと研究されていいと思っています。