まじめにやるほど、身体を壊す

たとえば、腕を上げようとする動作は、「腕を上げよう」という意識にともなうと思っていました。


ところが、実際にやってみると、肩関節を横切るような意識の方が無駄な力みがなくスムーズに上がります。(横切り方がコツ)


人の動きというのは、骨の動き。その骨の動きというのは全て関節を起点にして行われます。


その動きが、骨を動かすような意識よりも、起点関節を横切るような意識の方が、結果としていい動きになってしまうのです。


何人の人に確かめても、およそ80%の確率でそうなります。


その「質のいい動き」を体認した後では、「この部分をこうしてやろう」という意識にともなって出てくる動きの、「質の悪さ」が明確になります。


実験すればするほど「やろう」という意識は、やろうとしている意思の方向とは違う方向に力をはみ出させています。そこにも一定の規則性があります。


その規則的な力のはみだしは、外見には出てきません。はみ出すと同時に、外見上の補正が行われているからです。


たとえば、ランニング。


地面を蹴る方向に「頑張ろう」とすればするほど、それが右足でも左足でも右外に向かって力がはみ出します。


前に向かって後方に地面を蹴っていると思っている身体が、その何割かを内側に身体を戻すことに使われているのです。


「やろうとする意識」→「力み」→「力のはみだし」→「補正の為に必要だけど、自覚されていないロスな力」→「無理の蓄積」→「故障・けが」


こういう見えないサイクルが、スポーツ選手をむしばんでいるという仮説が成り立つようなのです。


これは怖いです。


監督やコーチや先輩の言う通りに「一生懸命」「頑張って」「指定・指示された動きを」「意識的に」やる選手ほど、どんどん故障する可能性を高めている、ということだからです。


当分の間、この現象を追いかけていくことになりそうです。