客観視する

全国の「前向きのへたれのみなさん」こんにちは。


今日も、間違ってもあてにならない自分の精神力なんかに頼ることなく、へたれな自分がましになることを追求してまいりましょう。



私たちは、おうおうにして「目的にかなった行動」を選択しないで、「やっている気分にひたれる」ことをしてしまいます。そして、他人のそれには敏感で、自分のそれには見て見ぬふりをするという傾向が顕著にあります。


瞑想の習慣のある方がありました。その方の希望というのは、人と緊張しないで話ができるようになりたい、ということなんだそうです。そのためにせっせと座っている。かれこれ何十年も座っている。


それで、その方に「それで話やすくなったんですか?」と聞くと、「ほとんどなっていません」とのことです。


早朝に瞑想をする。それはそれですっきりとしたいい気分になります。で、時間とともにそういういい気分は薄れてきていつもと同じ緊張した自分になってしまいます。


ようするに、誰にも会っていない間は緊張していなくって、その間を「瞑想の効果」だと思っていて、誰かと会ったり話したりするとたんに「瞑想の効果」とおぼしきものはたちまち消え去るということです。


ということは、人と話をすると緊張する自分をなんとかしたい、というのをこの方のやっている瞑想で何とかしようとすると、瞑想する時間をずっと延長しなければ効果がない、ということになります。極論すれば、一日中引きこもっていれば大丈夫ということになります。


つまり、対人関係が苦手だということの解決策にはまったくなっていないということです。


人が苦手だということをなんとかしようとするなら、対人関係の中で練習しないでどうするんだろう、他人の私から見るとそう見えます。人が苦手で、引きこもっているという図式にしか見えない。


もちろん、瞑想が悪いということではありません。この方の場合は、目的に合っていないということです。


自分のやっていることで、目的にかなった成果があがらないことは、一度自分から切り離して見直す必要がありそうです。