客観視する 2
全国の「前向きのへたれのみなさん」こんにちは。
今日も、間違ってもあてにならない自分の精神力なんかに頼ることなく、へたれな自分がましになることを追求してまいりましょう。
成果の上がっていない努力は、見直す必要があると昨日書きました。
悩み、なんてことも同じかなと思います。
悩める青少年(および成人・大人も同じようなもんかな)が「自分とは何者だ、僕は何のために生まれてきたのか、生きる意味とは何か」なんて部屋に引きこもって深刻に考えたりします。
まあ、そういうことはうまくいっている時にはきれいさっぱり忘れていて、やることなすことうまくいかないときに、そういう状況に陥るのは年齢性別関係ないような気もします。
で、その青少年が深刻に悩んでいるうちに夕方になり夜になりまして、だんだん腹が減ってきた。
で、いつもの晩飯の時間になったので、ずるずると階下へ降りて、当然用意してあると思っている夕食の席へ。
すると、「晩飯をつくっているはずのおかん」が、リビングにほおづえをついて、深刻な顔をしている。
「おかん、何しとんねん」
母上はうつろな視線を彼に向けると
「わたしって何者なんやろうね。私は何のために生まれてきたんやろね。生きる意味って何やろう」
とつぶやくのであります。
彼にとって、何物にも代え難い重大な悩みをおかんも口にしているのであります。本当に重大な問題なのであれば、ここにすばらしい共感者がいたのですから、ふたりして生きる意味について考えればいいようなものですが、そうはならない。
「ごちゃごちゃ言ってないで、はよめし作れ!」
などと怒りだすのは、まず99%間違いないのであります。だけど、ようするに彼自身も
「ごちゃごちゃ悩んでないで、やることやれ!」
ばいいんだ、と知っていることになるのであります。
自分にだけ重大な悩みで、他人には重大でなくなる悩みというのは、たいへんに怪しいのであります。