ありのままの自分作戦 他
【15日】
整体教室で。
「ありのままの自分」作戦を実施する。
「 『いまのままの自分でいいんだ、ありのままの自分で生きればいいんだ』なんてことに気づいて、それ以来すっかり楽になりました」というよな居心地のいい稽古ではない。
だいたいに、私は私のありのままの状態というようなものは分からない。だから、分からない立場からの試行錯誤の経過である。
なにゆえ、私は私のありのまま=素=原型 というようなものを仮定することができないというかと言えば、対する人、置かれている環境によって実に簡単に君子豹変するからである。
ゆえに「たこ焼き環境」に置けば、しっかり者で働き者なのであるが、その環境からはずすとただの怠け者である。
ゆえに、最近注目しているのが、その環境や対人関係で出てきている反射がどのようなものであるか、ということを突っ込んでいるわけである。
慣れたこと、慣れた人に対しては傲慢に高圧的にお高く、上から目線で余裕がある。ゆえにこういう環境で自分をマシにすることはむずかしい。
慣れていないこと、下手なこと、どうやったらいいか分からない時、そういう時に出てきた無意識反射を捕まえて全うさせようという作戦が「ありのままの自分作戦」である。
というので整体教室で、人に対して整体の型をとってもらった。すると、慣れていないし、自主練習もしていない人は、固まり、びびり、萎縮し、見栄を張る。
内面を感知すると、のけぞり、顔をそむけ、おどろき、などが見え隠れする。
音声に変換すると、「げっ」「うわっ」「でへ」「あっちゃ〜」などなどである。
それらの短音で発せられる音声こそ、「ありのままの反射」であり、しかも「その状況に対応しよう」とする無意識の即応体制であるととらえる。
しかし、それが瞬間反射でとどまっているところに一手入れる。
短音の発声を、そのままずずず〜っとのばし、呼吸法として使い、瞬間反射をずっと追いかけて、態勢姿勢の変化を全うさせる。
すると、ぐにゅぐにゅぐにゅっと背骨が動き、実に見事な整体の型に変換される。
この反射運動が、日常生活で使えないかと試行錯誤中である。
くりかえずが、ありのままの自分とは、「げっ」「うわっ」「でへ」「あっちゃ〜」のことである。
しかしそれらの、「げ」「うわ」「でへ」「あっちゃ〜」は、全うさせることで大化けする可能性を持っているのである。
【たこ焼きオフィシャルソングについて】
この24時間で10カ所ぐらい歌詞を変えました。