たこ焼き

復習しようとしたのではなく、ブログを書こうとしたら結果的にかなり質のいい時間をかけたネクストの復習になったみ〜やんの話を昨日書きました。


たこ焼きも、結局はそういう仕組みの方式のようです。


何か続けたいことがある。ところが単品でそれをやろうと決心したり計画したりするという方法だと、重たくてすぐに挫折してしまいますし、やれたからと言ってもたいして嬉しくもない。予定を消化したに過ぎなくなる。


これがたこ焼きになると、やりたいことと、やりたいこと以外の同じジャンルに含まれることの実際にやった時間数を合わせて、あらかじめ設定した時間を超える程度までやってクリアを目指すという方式になります。


こうやって文字で書くときわめてややこしいことをやっているようですが、実際はゲーム感覚になって、ポイント(=実行時間)を稼ぎたいからせっせとやってしまうというような行動回路が起動します。


高邁な理念を掲げ、崇高な理想を掲げていて、しかし実行できないでいるより、実行する内容が同じならゲーム感覚でポイントほしさにいつも以上にやってしまった、ということの方がいいわけです。   


講義ノートをつけるだけで読み返すことがほとんどなかったN川さん。たまに読み返しても、そのノートは読み返す用に書かれたものではなく、その時大事だと感じたことを書いているだけだから、後で読んでもどう大事なのかいまいちピンと来ないので読み返す値打ちがない。だから余計に読み返さない。


ただ聞き流しにするのには抵抗があるので、ノートすることそのものはなんとなくやめない。


N川さん、たこ焼きのジャンルに「読み返す」というのを入れた。もちろん、講義ノートの読み返しだけでなく、読み返して価値のあるものであれば何を読み返してもいいわけです。


そしたら、ノートの取り方が変わってしまった。書く分量そのものも3倍ぐらいは増えている。それでせっせと読み返すようになったそうです。


そういうことは、本気の人が本気の分野ではあたりまえにやっていることです。だからついつい「やる気」の問題にしがちです。しかし、そういうことを言っていると、私たち「へたれ」はいつまでたっても改善しないのです。


ゲーム感覚だろうと何だろうと、読み返しに耐えうるノートの取り方にかわり、せっせと読み返す習慣がついた方がいいんです。そうやってやり始めることができ、続けていれば、さらに改善だってしていけます。


やり始めないかぎり改善することさえできないのです。