正解は解らないから

先月は、新しく15人ほどの方が2011年型整体を受けられました。


アンケートもおおむね好評ですが、中に数人思ったような変化を引き出せなかった方もあり、また当道場の形式や技術を心情的に好みでないということを指摘された方もありました。


自分がこういうことをやっていると思っていることは、多くの場合意図に添った手ごたえをつくっていて、実際にやっていることではない、ということをくり返し書いています。


つまり、うまくやろうとして別のことをする。


土曜日に来られたMさんは、後頭部の20センチ後に意識を集めているつもりで、きっちり後頭部そのものに意識を集めていました。にもかかわらず「これは気持ちがいい」と思っていました。これでは首は固まってしまうので、変化していかないのです。


だから「意図」ではなくて「結果」を見て、自分のやっていることが適切かどうか見ていけなくっちゃという内容です。


そうは書いたものの、まだそのことが上達していない私は、結果を見てもほんとうに適切な行動の結果なのか、たまたまのまぐれの結果なのかということを見分けることができません。


新しい整体を、初めての方にせっせと施術していて感じたことは、自分が意図した結果が出ない人がいるお陰で、自分が何をしようとしているのかが徐々に明らかになってくるということです。


出せなかった効果や、引き出せなかった効果が明らかになって、何を出したかったか、何を引き出そうとしているのかということが明らかになってきました。


そうでした。できるようになるまでは、何が正しいのかはわからないのですが、明らかに違うということは、それよりも高い確率でわかります。


だから、我々「へたれ」は、白い紙に、ひたすら「これは違う」という点を打ち続ける覚悟がいるのであります。何万回も打っているうちに、その点が打たれていないところが、白紙に輪郭を持って浮かび上がるのを待つのであります。