私の意見は正しいか

特に東日本大震災の災害救援・復興支援がらみの話になると「それは違うやろ」と感じる人や計画に出会うと、かなり過激に否定的な感情が生まれてくる。


それは被災地の現状とマッチしていない、すでに活動しているボランティアの献身的なすばらしい活動が視野に入っていない、現地の方々のニーズをくみ取ったものではない、というような点が次々に目に飛び込んできて、徹底的に攻撃したくなる。


が、この現象はきわめて怖い現象である。


要するに私は私の考えの正しさを主張しているのである。私が私の指摘の正しさにこだわり、かつ対象者が私の思う方向とは違う部分を修正しないままに進んでいくと、私は知らずして強く相手の失敗を願うようになる。


私が東北でのボランティア活動に関連した人や団体に関係するほど、その思いを強く持つ傾向があるということは、実は私が私の考えの正しさにこだわりを持つほど、「それはちょっと違うんじゃないの?」という団体の活動に対して、失敗しろ〜、失敗しろ〜と呪っている状況になる。


そして私の理説が正しいことが証明されるということは、私の意に沿わない人や団体の活動が低調・不調に終わるということである。その団体が何の役に立つ活動もできないどころか、現地の方とトラブルを起こし、二度と来るなと出入り禁止になってしまうほど、私の指摘は正しかったということになる。


私は東北の人の味方のような顔をして、その実東北の人の迷惑になることを願っていたのだ。


 わっ、大変だ。


ということで、「それは違う」という無駄かつ有害な指摘はなるたけしないことにする。どうせ体験しないとわからないことはわからないんだし。



そもそも私の考えというものはどの程度正しいのだろうか。考えおよびそれに付随する行為まで含めれば、7割も正しければ、大富豪か名経営者か歴史的な政治家かノーベル賞クラスの研究者になっているような気がするから、なっていないということは5割以下であろう。5割もあるかな。3割?2割?


言っていることの半分以上は違っているということだから、こんな奴の話を聞くことはない。そうか、私もあまり私の言うことを聞かなくってもいいんだ。


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