報告会準備中

今日は泉佐野のマルゼンさんで2時から報告会。和歌山の今ちゃん、整体チームで奈良から(初対面)の長崎さん、名古屋からなまら塚本さんが応援に来てくれます。岸和田のけーた君は都合ついたのかな。


ただ写真を見るだけでも伝わるものは大きいと思いますが、少しでも背景を知ってほしいと写真展に来られる方に読んでもらうパンフレットのようなものを作ろうと思い立って作業中。ブログの日付は17日ですが、ホントは今は18日の11時20分です。12時15分には家を出ないと行けないんだけど…


時間的には十分間に合うはずだったのが、なでしこジャパンが優勝してしまったもので…。


・・・・・・以下が原稿


撮影者 鈴木有人さんのこと と
 ボランティアベース「絆」のこと


3月27日、ワゴン車の前二席以外のスペースはすべてぎゅうぎゅうに救援物資と自分の生活道具を満載にして、屋根の上にも救援のラジオと電池とペンライト(鹿児島と大阪と京都の有志が集めてくれてもの)を満載にして、二日がかりで電気も水も開いているお店もない宮城県石巻市に不安だらけで到着しました。


ただ私がとても恵まれていたのは、過去の災害救援の現場で知り合った全国の仲間たちが、活動拠点になる公民館のような施設をボランティアのベースキャンプとして確保していたことでした。


その拠点は「ボランティアベース【絆】」と名付けられて、そこを拠点にすることで3期合計40日間、寝るところと食べ物の心配なしに活動することができました。


鈴木有人さんは、私が絆に着いた翌日に石巻入りしたそうです。まだすさまじく破壊された街がほぼそのまま見られたころです。彼も同じく絆を拠点に活動していました。


彼も横浜と石巻を往復しながら、(おそらく石巻にいる時間の方がかなり長い)献身的にボランティア活動に奮闘していました。


彼は主に湊中学校・大街道小学校などで避難所の炊き出しに従事し、私は市の中心部からはずれた地区の避難所を回って整体・マッサージをやっていたので、直接同じ現場で活動はしたことはありません。


有人さんを強烈に覚えているのは、4月の後半に、彼が一度帰宅することになり、絆の朝のミーティングで帰りのあいさつをしている時でした。


「僕の仕事はカメラマンです。でもほとんど写真を撮っていません」


「でもまた帰ってきて活動します」泣きながら彼はそうあいさつしていました。


確かカナダ育ちで帰国子女の彼は、なんと「NASA」に就職が決まっていたのを(という噂を聞いた)蹴ってまでカメラマンをしているぐらいに写真が好きなのにです。


現地での活動が長くなると、知り合いがチームを組んでボランティアに来るような時に案内、活動場所のコーディネートを頼まれることがあります。私が知り合いの医療系チームを車に乗せて避難所回りをしている時に、活動もしないでただ写真やビデオだけを撮っている人がくっついてきました。私が所属する整体チームは「被災された方が嫌な思いをするかもしれないので、写真撮影はできればやめよう」というルールを作っていました。あんまりお気楽に撮影ばっかりしているので、(後で聞くとお気楽でもなく真剣だった)


「お前らの撮った写真で人が動くと思っているんか!」とどなりつけたことがあります。


その話を絆のミーティングで話しました。誰よりも真剣に受け止めていた一人が有人さんです。彼はなによりもボランティアとしての活動を優先しました。だから彼の写真は「どこの誰かわからないカメラマンに撮られた写真」ではなく、大街道小学校の「ブロードウェイ食堂」の「ありと兄ちゃん」が撮った写真です。


戦場カメラマンならぬ「炊き出しカメラマン」です。


活動の合間合間に撮りためた写真も、幾度も被災地入りする間に増えてきました。そんな写真に、和歌山のボランティア仲間が、写真展をしたいと企画しました。その女性は仕事を長期休んで絆で活動していたのですが、ご両親にはまったく理解してもらえず、和歌山に帰ってもぴりぴりした関係が続いていました。


そのご両親が、有人さんの写真展に来て一変しました。娘さんがどんなところでどんな活動をしてきたのかを深く理解しました。お父さんは、日に何度も知り合いを連れて写真展に来ては、まるで自分が撮影したかのように知り合いに写真を解説するようになったそうです。


マルゼン専務の北浦さんは、私の整体道場に月に二回体調改善に通っていて、有人さんの写真展のことを知り、和歌山まで奥さんと見に来て感動。すぐにこの「店内写真展」を企画し、このたび実施にこぎ着けました。自分も動いている有人さんの写真は、人を動かす力があります。


今回「マルゼン」さんの写真展は、展示スペースや有人さんが準備にかかわれない事情から、ご本人セレクトの厳選20数枚の写真が展示されています。もっと見たいと思われた方は、彼が日々現地で撮影している写真を

  http://www.arito.com/

 で見ることができます。

最後に有人さんがベースにしている「絆」についてもう少し書きます。ここは阪神大震災以後のあらゆる災害の現場で活動してきた何人もの歴戦の強者たちが中心になって仲間が仲間を呼び、 団体の枠にとらわれないで運営されています。


ふだんは四国でカヌーガイドをしている木村とーるさん率いる四万十塾さんは、震災後100日でざっと7万食の炊き出しを提供し、今も続いています。(有人さんもこのチームで活動することが多いです)


ヒューマンシールド神戸・吉村誠司さんや日本財団黒沢さん、蔵王・森の楽園の鈴木寿幸さんらを中心にした「重機部隊」は、民家の庭に重なっている車を吊り上げて撤去し、家屋に突っ込んでいる巨大な丸太を引きずり出し、牡蛎養殖の流されたブイを何千個も回収するなどの活動をしています。重機のレンタル料だけでも一日に4万円かかるそうです。燃料代だけでも大変な金額になります。


絆メンバーが中心になって立ち上げた「整体・マッサージ隊」は避難所や仮設住宅を回って、4月〜5月の二ヶ月間だけでも5400人以上の人に整体やマッサージを施しました。(現在も活動は続いています)


被災地で拾われた膨大な数の写真や位牌などを、ひとつひとつ洗ったり、コピーしたりする部隊にもかかわっています。70人以上の子どもたちが命を失った大川小学校周辺のそれも、手がけています。


さまざまな援助を受けられるように努力していますが、公的な支援はありません。
現地ではまだまだしなければならないことはたくさんあります。テレビや新聞の報道は減っても、決して復興したわけではありません。
資金はまったく足りていません。人手もまったく足りていません。
日々の活動は下記ホームページで見ることができます。

 ●黒沢司 「続・雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」
   http://blog.canpan.info/coco/


 ●ヒューマンシールド神戸 吉村誠司
   http://williamseiji.wordpress.com/


 ●四万十塾 木村とーる
   http://40010.net/modules/tinyd4/index.php?id=9

 ●津田啓史 ブログ
   http://d.hatena.ne.jp/meuto/

猛暑の中で、大量のハエと異臭の中で今日も活動する仲間たちへの活動資金援助、また実際に現地で長期活動できる方のお申し出を心待ちにしています。ご協力よろしくお願い申しあげます。


お問い合せは新大阪健康道場HPを検索の上メールして下さい。

津田まで