個人を助けるのは個人

私自身は、毎日活動中の人の現地での活動を追っているし、ボランティア関係者と会うことも多いので、まだまだ支援するのはこれから長いぞ、という感覚があるけれど、関西の周りの温度というのはどんどん冷めている。


テレビ報道が減っているのは確かだし、また「復興が進み、被災された方々は楽になっている」かのような錯覚が起こるような状況もある。


主としてテレビ報道では、「こんな復興の兆しの場面があった」という切り口になっている。それはウソではない。先日は南三陸で奇跡的に船が残った人が、地域の漁師さんの一番手としてたこ漁に出かけた、水揚げは少なかったけどたこはいて、大漁旗を掲げて港に返った。それを船を流された漁師さんたちが、港を大漁旗で一杯にして出迎えた」という切り口で番組にしていた。


一番船が出たことは嬉しい。だけど圧倒的に船を失った漁師さんの方が多い。船が残っていた人が船を出しただけで、船を失った人がなんとかなったわけではない。(だから助さんは、船を集めて、ただ今支援船を宮城へ運搬するプロジェクト実施中)


ボランティアベース絆の仲間のレポート(有人さん)を読むと、連休中には人が増えたが明けたとたんに長期滞在メンバーだけになったとか。ボランティア数は減っている。しかも来るボランティアの中には「はえが多いから現場を変えてくれ」とか、被災地は地域丸ごとゴミだらけになっているのだから、ボランティアのゴミは持ち帰ってくれというと「ゴミ箱を用意するのが君たち(ボランティアコーディネータ)の仕事だろ」と言う不思議なボランティアもいるという。


そういう「ボランティアに行くのは、どういう状況をどうすることを手伝うのか」ということを勘違いしている人も、現場での活動時間とともに学ばれて、ましなボランティアになっていかれることを願う。だって、まだまだボランティアは必要だと感じるから。


テレビに映るのが、がれきが片付いている街や、街中の大型船を撤去する映像だったりする。だから片付いていっているという印象を受けると思う。昨日報告会をしていて、一般の方が整理されていないなと感じるのは、ボランティアがどの部分の仕事をしているか、ということだ。


今台風で水害にあっている地域も多そうだ。水が引いた後に泥だらけの家が残る。じゃあこの泥を片付けるのは誰かというと、基本的にそこ住んでいる家の人であって、公的な支援はない。津波も同じ。がれきと化してしまった家は公的な費用で雇われた業者とか自衛隊に片付けられたりするが、住める個人宅には公の応援はない。


公的な手が出ているのは、基本的には公的な場所や施設である。個人の私的財産は助けてくれない。例外は指定避難所に避難している方々。それも仮設住宅に移るまでの話であって、仮設住宅になったら、避難所のような炊き出しや食料配給はない、というのが基本だ。(今回は被害がすさまじかったのでやや例外はあったみたいですが)


行政の基本は「公平」である。たとえば、町内のある一軒だけを自衛隊がドロだしをやったとする。たちまち「何であの家だけ自衛隊さんが片付けてくれるんだ。うちもやってくれ、うちもやってくれ」となって、全戸自衛隊がやらなければならなくなる。だから、個人宅の片付けをやるわけにはいかないのである。公が助けるのは、基本的に公共の部分である。


だから、個人宅を片付けた後に出たゴミは引き取る。だけど、個人宅の中は片付けてくれない。自分が家族か親戚でやることになる。


その個人の部分を助けているのがボランティアなのである。お年を召した方だけの家がヘドロで埋まった。お二人ではどうしようもない。だから、一時的に親戚になって一緒に片付けるのである。


港に巨大なクレーン船が来る。港湾のがれき撤去の予算で雇われた業者である。業者が委託されたのは「港に浮かんでいる(沈んでいる)がれきをどけること」である。がさっとさらって岸壁にがさっと置いていく。次に、がれきを一時置き場に運ぶトラックが来て、積んで持っていく。


ところが、そのがさっと岸壁に上げられたゴミというのは、からまった綱をほどけば、また使える牡蠣養殖の道具である。使えるものがたくさん含まれている。しかし業者は「港のゴミをどける」という業務を委託されたのであって「漁師さんを助ける」を依頼されたわけではない。ゴミ運搬業者の方は「何回運んだか」で報酬になるから、一刻も早く持っていこうとする。こちらも漁師さんを助ける為に動いているわけではない。


だから、岸壁に置き去りにされた「一見ゴミ」から、からまったロープ(人力でほどくのは無理。だから車もフォークリフトもない漁師さんにはどうすることもできない)を重機を使ってほどいたりして漁師さんを助けようとしているのが、ユニック鈴木さんだったり黒さんだったり助さんだったりするのである。


だから、一部が復活したというニュースを見て安心しないでほしい。それはニュースになるぐらい珍しいからニュースになったのだ。公的なところ、公共的なところが片付いた映像を見て、復旧が進んでいると思わないでほしい。個人の部分、私的な部分は、ニュースになりにくいのである。


あなたの家がもしもそういう被害にあったとき、公的には助けてもらえないということを知ってほしい。東北に誰もボランティアに行かなかったら、まだヘドロだらけの街のままだという可能性があるのである。そして、先日田代島を調査に行った黒さん・助さんのレポートでは、片付けボランティアがほとんど入っていない田代島では、震災直後と同じ光景がまだ広がっていたという。


個人を助けるのは、個人なんだ。報告会の機会を頂いてしゃべっていて、あらためてそのことに気づいた。