一時的に相手になることで

昨日の話を書いて、自分のやっている整体というものが整理された気がする。


人間というのは、自分のパターンを変えるということが非常に難しい。毎度同じ失敗を繰り返すなんてのもそうだし、病気だってその人の心身・生活のパターンの結果だという面が大きい。


昨日「家屋内の片づけは本来家族でやらなくっちゃいけないのだけれど、ボランティアはいわば『その時だけ家族か親戚』のような立場になって片づけを手伝うのである。」というようなことを書いて、なんだ、これって整体じゃないか、と思った。


人は自分のパターンを変えるのが苦手である。それは身体の動かし方にも言える。自分であれこれ変えようとしても、自分の今までのパターンの動きにはセンサーが豊富にあるが、ふだん使っていない回路にはセンサーが発達していない。見る目がない、聞く耳がない。感性がない。だから、何とかしようとしても、今までの何とか仕方からなかなか離れられない。だからなんとかならない。


そこに他人が一時的にその人の心身の一部の機能を分担するようにジョイントするのが整体である。そして相手の希望を聞きつつ、ジョイントすることで見えてきた「こういうのがいいんじゃないの」という提案もしていく。


ユニック鈴木さんが、ニーズに応えるかたちで玄関をふさいでいる流された自動車や庭や屋内に突っ込んだ巨大丸木をクレーン車でつり上げて撤去するのは相手の希望。それらを十分聞き届け活動した上で、表札を作ろうプロジェクトを立ち上げ、「仮設住宅の自分の家の表札を作ろうよ。『我が家』になるよ、気分が変わるよ」というのが、ユニックさんの提案である。


今回の災害の被災地での救援活動は、最初の3日間は人命救助だったととーるさんは述懐する。失われるかもしれない危機にある生命を救う。ほぼ平行して次が食べ物と寝るところを何とかする。


生きていける環境を作ったら、徐々にそれをましな環境に改善していく。だけど、それは援助慣れしてしまった人をつくることではないんだと。だからほぼ玄人レベルに料理のできるカメラマン関川さんが最近、炊き出し現場に入る前に、炊き出しの酋長であるとーるさんから「自分で作っちゃだめだよ。今回は手を出さないで、みんなにやってもらう流れを作るからね」と念を押されたのもそういう流れにそってやっているからだ。


そうやって、地元のみなさんがどんどん自力を発揮していく要素を増やしていっている。


なんとも整体よりも整体的だ。


死にたいぐらいにしんどい、という人を、とりあえずほっと楽な状態を味わってもらい、日々の生活をやっていけるような元気を導きだし、どんどん整体に頼らないでいい状態を作っていく。


生命の働きというのは、それ以前はばらばらだったものを、一カ所に集めてきて、一時的に「あるうごめき」に収束していく力である。そのうごめきがある間を生きているというようである。


自分の整体で実際にやっていることを、もっと実際面でチェックしながらやろうと思う。俺の整体はまだまだ整体的ではない。



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【業務連絡】

いつもは出張整体に出ている金曜日の夜ですが、明日は出張がなくなりましたので、夕方5時〜8時過ぎまで道場で整体可能になりました。ご活用ください。

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昨夏まで、実施のたびに静かな感動と快適な月経ライフを生み出し続けていた女性限定勉強会「月のプロジェクト」
衝撃の「子宮体験」で「月経観」が変わり、8割以上の経験者が「それ以後の月経が変わった」
しばらくお休みしていましたが、参加者からの噂を聞いて復活の希望が上がり、8月1日 ついに復活!!
なんですが、参加適正人数の7人を上回って、すでに9人の参加予定者が決まっているので、すいません、復活のご報告はしましたが、参加はできません。


これを機会に平日の夜、第一第三日曜日の午前などに希望者が集まる時間があればスポットでやっていきたいと思います。参加希望の方はご連絡下さい。