思いと現実

私は、私がやろうと思っていることを、実際にやっているとは限らない。意図していることと、実際にやっていることとはかけ離れていることが多い。これは、毎日のレッスンを通じて繰り返し実感する人の特性です。


私は、私がやろうと思っていることをやっているとは限らないという前提を持つことによって、じゃあ実際には何をやっているのだろうということを観る感覚が養われてきます。


成功した人の体験として「実現した様が、いつもありありと見えていた」というような言葉が語られたりします。そこに潜在意識こそが成功・実現の鍵だなんてことが語られ、イメージトレーニングがはやったりします。


深くいすに腰掛け、できればリクライニングして深呼吸を繰り返します。目の前にスクリーンを思い浮かべます。そのスクリーン一杯に、あなたがそれを成し遂げた瞬間をリアルに映し出してください。雰囲気や空気観も同時にありありと感じましょう。


というようなトレーニングをして、やることなすことうまくいっている人は、どうぞ続ければいい。ところがやってもやっても実現しない人も多数いるわけです。


成功した人というのは、実現したいイメージがほっておいても浮かんでくる人なんでしょうね。浮かんでくるのとイメージしようとするのとは似ているようで全然違います。


イメージトレーニングはやりようによっては有効だというのは、もともと人間というのがイメージに向かって行動していく働きがあるからです。


昼の11時に「あっ、昼は丸三の和歌山ラーメンの大盛りだ」というイメージが浮かんでしまうと、それを成し遂げない限り何か不満が残る。丸三にいったらお休みだったので、井出商店で食べたけど満たされない。満たされないから、夜も丸高でラーメンを食べてしまった。でもやっぱり「違う」という思いを高じただけで、結局翌日のお昼に丸三で食べるまで、突き動かされるようにラーメンばかり追ってしまった、というようなことが日常の人間を支配しております。


こういうありのままの人間の様子をとらえて、それを使いこなしていけばいいと思うのでありますが、えてしてそれを大層なことにしてしまう。



「深く腰掛けてリラックスしてください。目の前に大きなスクリーンがあります。そのスクリーンには湯気を立てた丸三の和歌山ラーメンがくっきりと浮かんでいます。ラーメンの香りや湯気の暖かさを鮮明に感じてください」


というようなトレーニングをしないと食べたくならないようなラーメンならわざわざ食べることはないと思うのです。


ある一定の割合の方々には、イメージトレーニングを丁寧に時間をかけてやればやるほど、「それぐらい時間をかけて丁寧にやり続けないと実現しないぐらい難しい目標なんだ」ということを自分の身体にメッセージとして送り込んでしまっているかもしれない。


頭は「前向きな自分をつくりあげるイメージトレーニングだ」と思っているかもしれないけれども、身体の方は「こういうめんどくさいほどの手続きを踏んだトレーニングをしないと変われない後ろ向きな自分」」として受け取っている可能性だってあるのです。