16〜17日の那智勝浦 ボランティア未だ募集中

16日で那智勝浦の災害ボランティアセンターは閉所されました。テレビでも新聞でも報道されました。ボランティア情報を載せるHPやブログにも「閉所」という情報が一気にながれたようです。


なので、世間には「那智勝浦ではもうボランティアは不要なんだ」という看板が出てしまいました。


実情は違います。確かに「ボランティアセンターが管轄できる個人宅の住環境を整備するボランティア派遣要請」は残り少なくなりました。


なので、最初は近畿各地から、後には和歌山県内の社会福祉協議会の応援を得て運営されていた「災害ボランティアセンター」は、その「応援部隊」に引き上げてもらう一つの切りとして閉所しました。


残ニーズが無くなったわけではありません。那智勝浦町社会福祉協議会のメンバーだけで、通常の福祉業務も復活させながら、対応する体制に移行したわけです。


今までのように300人も400人も一気に来られても対応できません。派遣先も、そこの家の人がいないと作業できませんからコーディネートも難しくなります。


そこで、近隣市町村の人にあらかじめボランティアしたいという人に登録してもらって、メールで「明日来てもらえませんか?」というアナウンスをして対応する方式に切り替えました。これならば少ない社協のスタッフでも対応できると判断したのでしょう。


ところが、登録ボランティア数は20名ぐらいしか集まりませんでした。登録したからといって、今日来てくれと言って都合がつくわけではありません。連絡は入れたものの出てきてくれる人は月曜日にはなかったようです。


さらに、「閉所します」と言っても、しばらくはある程度の県内外のボランティアさんは来るだろうと思っていたらしい。ブログをよーく見ると、ちゃんと「この後は社会福祉協議会がやります」「10名以上で申し込んでいただけたら受け入れます」と後の方に書いてあります。でもトップに「閉所しました」と大書してあるので、みんな続きを読んでくれなかったようです。


17日にふたを開けると、朝の時点では見事に誰も来ませんでした。当日受付ボランティアはゼロでした。噂ではそのあと二人来たという話がありましたが。


前日100名が投入された色川地区では、オンザロードが4名と青少年の家の尾崎さんがこつこつとスコップを振るっていました。


井関では、絆関係の10人ほどで床下のドロだしを一軒手がけました。人数が少ないので翌日以後に持ち越しになりました。


井関の区長さんは、地域のことばかり優先したので、16日にやっと自宅の床板を派がしました。で、17日からボランティアを頼んでドロだしにかかろうとしたら、ボランティアがゼロだったのでした。


ということで、那智勝浦町、未だボランティアは必要な状況は継続しています。ただし、今までのように300人来ても、受け入れも割り振りも大丈夫という体制はありません。


なので、事前に社会福祉協議会

http://nachikatsu-volunteer.blog.ocn.ne.jp/blog/


を見て、申し込みの電話を入れて、行くようにしてください。建前は近隣市町村で登録制、それ以外は10人以上の団体のみと出していても、実情は県外からでもその日必要な人数までは欲しいという本音があります。


絆関係の方は、今までどおり潮岬青少年の家の方を拠点に活動しているので、どうぞ参加してください。



もう一つ知って欲しいことがあります。それはボランティアセンターが管轄しているのは、あくまでも「個人宅の生活空間の片付け」のみだということです。


庭・側溝・道路・河川・田畑・商店・工場・学校は活動対象になっていません。


それらを対象にしたボランティアの受付窓口というのは、ないのです。


17日、地元はなちゃんのお姉ちゃんが立ち上がりました。もっともっと地元がやらなあかんと。それで、地元のボランティアの人を組織して、個人宅生活空間のみに限定しないで、道路や田畑や学校なんかもきれいにしていく活動ができる人を集めようと思い立ちました。


そう思っていたやさき、ボラセン閉所という報道を目にして、どうなっただろうとボラセンに来てみたら、誰一人来ていない状況に愕然というわけでした。


23日には、自衛隊撤退の後、土日の教員の動員で少しずつ片付けていた市野々小学校にも、地域・育友会・ボランティア団体が協力して一斉片付けに入ることになりました。


市野々小学校のグランドは、なかば土砂置き場のまま放置されています。法律的には行政が片付けるべきところです。しかし、そうなると、これから議会を通して予算をつけてから業者を雇ってようやく着手ということになります。


だったら、さっさとやれるところはやってしまおうと地元の人が動き出したわけです。小運動場はだいぶ片付きました。そうしたら子どもたちが安全に遊べる広場がようやく一つ復活です。


ボランティアセンターの管轄外の共用部分にも、ようやく手がつけられるようになってきたわけです。今後、そういう個人宅生活空間以外の部分を、ハナちゃん姉ちゃんらのような地元有志が中心になって手をつけていき、また外部からのボランティア希望者の窓口にもなれれば、ボランティアセンターでは手が届かない部分にも継続的な支援の手が届くようになります。


そういう時期に入ってきて、次の段階の形というものが早急に必要とされている。そんな那智勝浦町の現在です。