和大の話題/TY式レポート

那智勝浦でも何回か会った和歌山大の大学院生の太田昇くん。和歌山大は熊野川町の災害救援でがんばっていました。大学では東北から預かってきた水没アルバム、写真の修復デジタル化を進めています。


最近来た彼からのメール。( )内は津田の感想。


「申し訳ございません(>_<)現在、被災地からのアルバムを600冊ほど預かっていて、(ひえっ、ろっぴゃくさつ!)パソコンにデータとして取り込む前の仕分け作業に徹しております。


これは外で行うしかない作業で、(さっぶ〜)夜間は他の勉強だったりを行っています。


ちなみに後83冊でパソコンの作業に全面切り替えになります。この仕分け作業はダメージがひどい写真はパソコンに取り込まず、破棄せざる得ない判断も強いられます。しかし、出来る限り思いでを残すため、返した時の持ち主さんの喜ぶ顔を思い浮かべて作業しています。(…)現場には今週末行きます。


津田さんのブログを読ませてもらい、和やwithの皆様の活動を知り、本当に心強くなり、現場にいることがどれだけ大切かも知り、複雑な気持ちにもなります。


なるべく現場にいけるよう、行けるチャンスは見逃さないようにします。


仕分け作業が終わり、パソコンでの作業に入りましたら、また連絡させてください!あの整体?をみんなにも受けてもらいたいです。またよろしくお願いします!



和大のボランティアのみんなとは、石巻の絆ベースで短時間だけ6月ごろにご縁があって顔を会わせました。



和歌山に帰ってからの彼らの被災地報告会が自宅から自転車で5分のところで開催されました。最近背中の筋を痛めた(これは本題とはなにも関係ありません)財団足湯隊初期メンバーOBの山田ひろしさんが誘ってくださったこともあって、出かけてみました。


彼らなりのスタンスでできることを、というので夏のボランティアバスの企画などを話していたので、


「先に伸ばすなー」

「一人でいいから今すぐ被災地に入れー」

「長期入れー」

「大事なのは現場や、現地や、被災者と直接ふれあうことやー」



などとやじり倒しておりました。なんというひどい報告会参加者でしょう。


再会は那智勝浦の支援中に、串本の青少年の家。彼は串本生まれ。ちなみにトルコの軍艦エルトゥールル号が難破した時に献身的に救助にあたった串本の大島の、その陣頭指揮にあたった村長さんは、彼のおじいちゃんのおじいちゃんらしい。



産まれ故郷の南紀・熊野地方が未曾有の洪水にみまわれ、被災後まもないころからの現場も見た彼は、最近特に「やっぱり現場だ」と言い始めております。それが冒頭のメール。


しかし、君子豹変、おじさんはここで簡単に前言を忘れたかのように言うのであります。


「大事なのは継続や」


 現場も大事だけれども、現場以外の活動も大事。被災から時間がたつほど、今度は継続するということがとても大事。



和歌山大のみなさんは、立派に継続されています。


ほかの形態の支援とは違って、「アルバム600冊をきれいにしてデジタル処理してプリントアウトして再びアルバム化」が終わるまでは終わらない。終わりたくても終われない。寒くっても暑くっても終われないのです。



とりあえず、アルバムの写真をきれいにする残りが後28冊まできたそうです。お見事!


というので、


「疲れたメンバーに整体に行くでー、日曜日と月曜日の夜は和歌山におるでー、呼んでくれたら行くでー」



というメールへのお返事が冒頭のメールなのであります。




最近の若い奴は…、なんてすてきなんだ。がんばれ和歌山大。


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【TY式関連のお知らせ】


みーやんともども新型TY式に励む西川さんからのレポートです。※は津田のコメント


食事の時間が短くなった分、ようく味わい、酒もより楽しんで飲んでいます
※メモを取り始めたら、食事時間が長すぎることに気づく。自然に時間が短くなってきた(津田コメント)


不思議な事に気分よく酔っているのですが、予習、復習ができます。※今までは食事を終えたら何も手につかなかったそうです。


初めての経験です。5日間続いています。
掃除の方の発展は雑誌類の必要なところだけ切りとりスクラップブックに閉じました。※参考にしようとうず高く集めた雑誌。ただ積んだだけで場所は取るけれど読み返すことはなかったそうです。


不思議と読み返しています。単車は1年に1回だけ年末に拭いていましたが、もうピカピカに近づいています。この経験も初めてです。本当にありがとうございます。西川