再会のたこ焼き/連載4回目

石巻復興支援協議会のトラキチさんこと、小野寺誠さん一家が、大阪道場を訪ねてくれた。


http://d.hatena.ne.jp/meuto/20120323


トラキチさんの家族旅行」参照


青少年の家に泊まり、やまちゃんの歓待を受け、那智の滝に行き、那智勝浦慰霊碑に参り、太地町で鯨と戯れ、串本で海中公園で遊び、アドベンチャーワールドでパンダを観て、トラキチの聖地・甲子園で石巻でのボランティアでのおつきあいがある浦和高校の応援をし、淀川区へとやってきた。


今春無事高校合格の麗奈ちゃんの卒業旅行というか合格旅行というか。確かに、昨年一年とても家族旅行などという状況じゃなかっただろうから、わが住まいのある和歌山県で思いっきり楽しんで頂けたようでうれしい。


高速を走り、和歌山から大阪の県境を通りすぎたときに、次女美波ちゃんが「もっと和歌山にいたい〜」と言ったそうだからよほど楽しかったんだろうね。


パンダファンであり、猫好きであるひろみママは、私も知らなかった道場近くの「猫で戯れられるカフェ」を即座に発見し猫と遊びながらこちらにお電話。猫カフェにて合流し、石巻の最新事情や石巻市民としての被災者の現状やこれからなどをあれこれお聞きする。


道場に移り、筆者が30年前に「島根猛虎会」時代の応援ジャンパーなどを進呈する。まことさんからは、仙台銘菓萩の付きならびに石巻末永海産の「牡蠣味噌」「ホタテ味噌」を頂く。昨年の前半の石巻にいたころは、水産物などはまったく口に入らなかったから。唯一女川の笹かまぼこだけだったからまったく嬉しい。


道場でひとしきりお話の続きをした後、阪急南方駅北側にある「十八番」のたこ焼きへ。


塩・ポン酢・だし・ソースの四種類のたこ焼きを五人でばくばくと食す。関西旅行のフィナーレを飾る「四種類のたこ焼き」はとてもインパクトがあったそうで、これまた嬉しい。


今度は石巻でお会いしましょう。




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「本業ボランティア」連載4回目


3月17日 
スイッチが入った
 


震災以来、ほぼ一週間ぐらいたったころ、吉村ブログでこんな記事を読んだ。ある女性の車に少量だけガソリン補給をした。その女性に号泣して感謝された。実は人工透析が必要なお母さんを病院に連れていく途中で、今日はいよいよ最後のガソリンだった…。


その瞬間スイッチが入った。すべてが「行く」に向かって始動し始めた。家内実はいつ言い出すかと思っていたそうだ。それが3月17日。


ちょうど「スイッチが入った」その日、黒沢さんはこんな思いで活動していたらしい。。


黒沢司氏 災害救援情報ブログ

 「続・雨ニモマケズ 風ニモマケズ」 3月17日掲載分


http://blog.canpan.info/coco/


昨日、石巻に物資を届けた京都・香川のボランティアから信じられない報告を受ける。


その内容は未だに食べるものも毛布類も全く届いていない1000人規模の避難所が多数あるとのこと。救助ヘリコプターの関係でたき火もできないという。


中越地震の時も、岩手・宮城内陸地震の時も道路が寸断されても「水・米・味噌・塩など」があり、食料の確保には問題なく、むしろ何故ヘリコプターで避難しなければならないのかとの疑問すらあったとの報告を聞いている。


石巻は漁港でありながらも、田畑も多い場所だ。味噌を作るためのデカい釜もある。地震からもう何日経っているんだ。まだそのように放置されている場所があったことが信じられない。


関東のNPO・ボランティア団体の皆様、会議はまだまだ続くのでしょうか?食料と釜を積んで、とにかく早く石巻以北の三陸の市町村を目指して欲しい。16年前に130万人が神戸を目指したように!


動け!動け!動け!


人々が寒さに震え、お腹を減らし、死にかけている。そして議論はそれからでも遅くはありませんか。


今年は「ボランティア○○元年」と呼ばれるのだろうか?


○に入るのは、「後退」、「静止」、「静寂」、「停止」、「停滞」、「沈黙」???。


俺の友人の家族は名取市の漁師町、ユリアゲの避難者にはいなかった(涙)石巻のいとこの消息も全く掴めていない(涙)
三陸からのSOSが聞こえるだろう。


走って下さい。動いて下さい。風になって飛んできて下さい。京都や香川の仲間は24時間以上もかけて一般道を走ってきたといい。それでもみんな笑顔・笑顔・笑顔だった。


関東は昔から東北の米で生活を支えて来たんではありませんか?


戊辰戦争はまだ続いてるのですか?兵糧攻めで! 




今まで数多くの被災地の救援活動に携わった黒沢さんだからこそ、災害発生後一週間たって毛布も食べ物もない状況がよけいに信じられなかったのだと思う。通常どんな災害でも3日持ちこたえたら、物資も水も食料も届くというのが私の知っている日本の災害の常識だ。そして、多くのNPO、ボランティア団体とつながりを持ってきた黒沢さんだから、現地の惨状を耳にして、遠く四国や京都からも駆けつけて来ているというのに、より近い関東が動かないことに、歯ぎしりをされていたのだと推察される。


これを読んでくださっている方、パソコンをお持ちなら時間のある時に、上記三氏のブログの3月のアーカイブ(バックナンバー)をぜひ読まれることをお勧めします。読んだら、この歯ぎしりが聞こえそうなブログの気持ちが伝わると思います。というか、最初の一週間を読まないと、この日のブログはたぶん理解できない。

続く