金曜日のいろいろ

■ヤスのお店の住所
■今日のできごと
■進化体操
セミナーとTY
東日本大震災ボランティアの記録


■ヤスのお店の住所


一昨日書いたお店の所在地を書いていませんでした。書きます。


「爆発」ことオンザロードのヤスのお店・バー「俺」の詳細は


定休日 月曜日
営業時間
6時から12時まで


〒542-0083
大阪府大阪市中央区東心斎橋2‐4‐6 ブルースカイ105
電話 09089902652



■今日のできごと


朝は出町柳の「かぜのね」での進化体操教室。元F大の先生だった都市計画のH原さん、K大の社会学のI崎さんともに先週は東北の被災地に赴いていてお休みだったのがそろって出席。


最新の状況を少しばかりお聞きする。


K林青年と桃ちゃんは、29日30日のセミナーに参加決定。


終わって五条のテラルネッサンスへ。小川さんと栗田君を整体。テラさんは、岩手県大槌町の支援を継続的にしている。「刺し子プロジェクト」詳しくはテラさんのHPをどうぞ。


http://www.terra-r.jp/




■進化体操


土曜日のレギュラーのI垣さんから、残業時間に思わず打ってしまったと思われるメールが届く。


↓ここから


津田先生


進化体操始めて、先週あたりから、すごく元気になってきました!


今会社で残業中で、11時間仕事してますが、疲れた気がしないんです。いつもだったら座り過ぎて腰痛になっているはずなのに、しんどくないんです。


今までになく元気で、びっくりです。手もマウス手に固まってしまうのに、大丈夫です。


私も進化して、ゆるゆる体になってます!もう少し残業できそうです!!

↑ここまで


残業中にあまりにも体調がいいので、思わず報告したくなったという模様。こういうのはうれしい。新大阪健康道場は「癒し系」ではありません。ついつい動いてしまう「はたらけー」です。





続いてY田君より報告。進化体操が基礎になっている「痛くない整体」や「モーションチューニング」の効果にびっくり。


↓ここから

吉田 雅人


【体が若返ったら実年齢は関係なかった 】


今年80歳になるテニススクールで中級レベルの男性。


先日「衰えた」とつぶやいたので整体を提案し、先週から
[高齢の方が変われば、周りは歳のせいにはできませんぜ!!プロジェクト]を開始しました。


まだ一週間ですが早速変化が!!


今週のテニスで中級レベルの女性と組んだにも関わらず、なんと上級レベルの男性2人相手に試合で勝ちました!!


あっぱれ!  


以前はコーチと組んでもその方達に負けていたのにびっくり。


こんな大人を増やしたい!!

↑ここまで
おそるべし、進化体操。



■総合セミナーとTY式


4月15日TY研究・講習会(1時〜5時)

 
まだまだ参加大丈夫です。


4月29日30日の総合セミナー


申し込み予約が、定員の半分を越えました。異例の早さです。人数が定員を大幅にを越えそうなら会場を大きいところに変更しないといけないので、ご希望の方はお早めにご予約下さい。



東日本大震災ボランティアの記録 連載8回目


行き先は、湊中学校だという。昨日石巻入りした時の道に出て、市街中心部から北に旧北上川を渡るとトンネルに入る。少し長いトンネルを抜けて絶句した。そこはがれきか破壊された家しかなかった。お墓がある斜面の上の方の墓石の上に車が乗っている。消防署もぐしゃぐしゃ。下はどろどろ。


二車線道路から海側に入っていくと、細い道の両側はひたすらがれきである。というか、もともとはすべてがれきだったところで、最低限車や人が通れるようにがれきをどかしたところだけが道なのだ。


自衛隊の小型ユンボ(パワーシャベル)が道路確保の作業をしている。何回か曲がって行き着いたところが、湊中学校。一階は津波にやられ、まだ泥がいたるところに堆積している環境だ。


村山先生は、さっさと校舎に入っていくと、以前の活動で顔見知りになったらしい避難されている人の中で、避難所の運営を買って出ている被災者ボランティアさんを紹介してくれた。

彼が、避難所を管理している行政の人らに話しをして、整体会場になる教室を一室確保してくれる。その途中までを見届けると、一緒に活動されるのかなと思った村山先生は


 「じゃ、僕はこれで。今日鹿妻小学校に行ってこよう」
 

とあっという間に消えてしまった。


さあ、いよいよ整体による被災者救援が始まるんだ。部屋中央に銀マットを敷き、コンロを出して鍋をかけ、お湯を沸かす。出発まではとにかく連絡をし、情報を集め、物資を何回も買い出しに行きと多忙を極めていたから、そんな時間はなかったといえばなかったけれど、何でもシミュレーションはするべきだと思った。カセットコンロ(ハイカロリーバーナーと表示のあるやつ)を使っても、大きめのなべ一杯のお湯がいつまでたっても沸かないのである。


ボランティアの人が何人か声をかけてくれたらしく、数人の人が部屋をのぞきにくる。「足湯できるんですか」「はいはいどうぞ、整体もやってます。今準備してますからね、そこで待っててください」


やる気のない段取りの悪い流行っていないラーメン屋みたいな対応である。11時開店と書いてあるから11時に入ったら、そんなに早くお客さんが来ることがないから、まだスープも麺を揚げるお湯も温まっておらず、親父は店の奥でくわえたばこでスポーツ新聞読んでいて、あわてて立ち上がって「いらっしゃいませ、どうぞ」…というまさにあの感じである。


それでもいつしかお湯は沸き、100円ショップで買った450円の特大バケツにお湯と水を注いで足湯をつくる。担当は採澤君だ。


この時の足湯は本当に喜んでもらえたようだ。震災後18日。二週間以上。電気も水もないこの地域では、もちろんまだ仮設風呂などもない。


 「足きたねえんだけど、いいんだ?」


 「ちょっと、足あらわすてもらってもいいが?」


 「気んもちいいねえ」



お湯はみるみるにごっていくのである。でもお湯のにごりと反比例して、笑顔が広がっていくのである。


3〜4人連れだった来ているのだが、バケツは二つしかないので順番待ちの人を整体に誘って施術する。足湯係と整体係を交代したりしながら、こうやって午前中は7〜8人、途絶える時間もあまりなく、そこそこにぎわった「整体&足湯」であるが、お昼頃になるともうぱったりと「客足」は途絶えてしまったのである。


「外の状況を見てくるわ」


と採澤君に声をかけて、出かける。教室とは反対側の廊下の突き当たりには、臨時の「携帯電話充電サービス」、要するにコンセントと充電器が並んでいるだけだけれども、そういうコーナーが設置されていて、数人の人が充電できるのを待っている。避難所の居住スペースになっている教室は、そんなに人がぎっしりといるわけではない。


正面玄関を出る。足下にはまだまだヘドロが一杯で、すのこのようなものを並べて入り口までの通路を確保している。身寄りか知人の安否を訪ねてきたらしい人たちとすれ違う。何でわかるかっていうと、服装がこぎれいで疲れ果てた顔をしていないからである。


ご近所にデイサービスでもあったのか、福祉車両が数台ひっくり返っているところを通って左手に進むと、板敷きのオープンスペースがあって、炊き出しをやっている。ここが、この本の後半にたびたびその名前が出てくる「湊食堂」のごく初期の姿である。


オープンスペースと言ったが、板敷きのここは「武道場」であったらしい。車が一台停まっているというか流されてきている。昼食としては、干し芋を数切れかじっただけなので、野菜や芋を煮た炊き出しをありがたくいただく。煮物の使い捨てどんぶりを片手に、校舎の裏手に行く。学校なんだからここはグランドだったはずのところ。だけど、いたるところに家がある。どれがもともとあった家で、どれが流れてきた家なのかわからない。校舎に向かって押し寄せた波の形そのままにがれきが積み上がっているところまである。