15回 被災地記録 

4月3日 連続する偶然 


朝からボランティアセンターでリクルート活動。大阪から参加の足つぼができる森光仁子さんと、心理療法士の掛井さんが参加。昨夜合流の鍼灸師の渡部さんなどチーム総数が10名に迫ってきた。整体オンリーのチームが足裏から鍼灸、さらに心のケアまで広がっているのである。


今日も、日本財団足湯隊とジョイントできる部分はジョイントする。湊小学校の他に、午後からは湊小の4〜500メートル北にある祥心会という福祉施設でもやるとのことで、そちらへの合流を前提に一日のスケジュールを立てる。


ここまで個人名はあまり出ていないが、一緒に活動をスタートした採澤和正とは、今日まで、ほぼずっと一緒に行動している。


彼は、阪神大震災を中学校の時に伊丹市の自宅で被災。数週間無気力状態になったという。京都大学に現役で合格したからかなりの高い偏差値である。


合気道の有段者であったが、気の存在を信用しておらず、大学生の時に達人はほんとに達人なのかツアーを実行していて、その一貫として私の整体の師匠の河野智聖先生の武術を一度体験したいとつてをたどる途中で、私の道場を体験。私に気の手当をされていた時に、骨までふにゃふにゃになる快感で不覚にもよだれをたらした体験と、受講生同士の手合わせで、何かが腕から頭の中に上ってきて、その瞬間花粉症で詰まっていた鼻がすぽんと開通したのをきっかけに気の整体、気の武術に目覚める。


大学院卒業後はベンチャー企業での数年のサラリーマン生活をしながら整体や武術の修行を進め、今では河野智聖の内弟子として活動する日々であった。


ここまで、活動が破綻しないで続いているのはひとえに彼のおかげである。私が錯乱している時には、彼がちゃんと取っておいたメモで翌日の活動先が明記されており、私がマスコミとけんかしている時に、横で淡々と打ち合わせを進め、私が与太話に興じている時に、着々とチームメンバーと情報交換をする。体と胃袋は余分に大きいといつもからかっていたが、余分に高い偏差値はちゃんと世の中の役に立っているのである。


だから、ここまで津田の活動のように書かれているすべての活動は、ほぼふたりでやったものと読みかえていただくと実際に近くなる。


いろいろな思いつきが実現していってのも、相談相手としての彼がいたからである。一度口に出すことでそれは形になりやすくなる。個人の中に思いつきのままとどめておいたら、それはそのまま消えたかもしれない。とっぴな思いつきも、相談という形で言葉が行き来しているうちに、実現性の高いものへと形を変えていく。
  

今日は午後からは湊小学校+祥心会へ合流という前提で、午前中は行き道の途中にある石巻大橋のたもとのOさん宅を一度フォローし、その後は採澤情報で湊小と祥心会の間にある「明友館」という施設にも状況確認をかねて訪問するということになった。


Oさんご夫妻はずいぶんと明るくなっていた。奥さんの方は、前回訪問で予想以上の回復にるんるんでいたら、直後に移送チームに北海道のNHKが張り付き取材をしていて、そのテレビ付き訪問を受けたのだそうだ。それでインタビューを受けたりするうちに「すっかり緊張してしまって、せっかくの効果がどっかへいってしまいました」(ちなみにそのインタビューは、翌日全国放送される予定だと言っていた。)


とはいうものの、ずいぶんと明るくなっていて、調整を終えると今度は杖なしで5分以上も立てるようになりました。