またまたボランティア交流会/連載17回

有人写真展に、仙台の沼田さんやなかこ姐さんが来ているということで、夜にまたまた飲み会が。おかげさまでお仕事が忙しく、9時に上がって梅田で合流。


二次会のカウンターバーなので、沼田さんとなかこ姐さんの間で、昨年の初期のお話をいろいろ。


実は沼田さんとは初めて。川開きの写真がとっても良かったので感想メールを送ってからのおつきあいで、和歌山水害にもぎりぎりまで参加しようと努力してくださって、和歌山の初期に活動してくれた岸野哲平君は、沼田さんが石巻〜仙台へヒッチハイクで拾ってこちらに送り込んでくれたなんて縁もあって。


浅やんつながりで、被災地支援ブドウ狩り(収穫したぶどうを石巻へ送るというイベント)をされたジーグレープファームの小林さんや猪名川町の八百屋さんの出口ちゃん、などと初めて対面。フェイスブックやネットで見ていた「ああ、あの活動をされた人なんや」と、初対面とは思えない気分。


土曜日の道場での交流会では、開会から解散までひたすら笑い転げていたので、「みなさんの整体」をすっかり忘れておりました。今日は思い出したので、アラバキを控え内面は盛り上がりつつあるも、実は首は回らず肩は痛いという沼田さんをはじめ、お歴々を片っ端から短時間整体。


とりあえず沼田さんの首は回るようになったようです。


ボランティアOBからは、その活動日数と同じ回数は料金はいただかず、もしお気持ちがあればボランティア支援資金へのカンパ(でも原則はあくまで無料)という今年の方針なので、どっかこっか痛めているボランティアOBの方はどうぞ道場へいらしてくださいねー。



・・・・・・・・・被災地ボランティアの記録・・


連載17回目


4月4日 体育館の中だけが被災地


 今日の予定は飯野川中学校。再々名前の登場する「ビッグバン」と同じ「河北地区」の200人以上の避難所だ。


 整体チーム共通の心理として、行った先で「整体・マッサージ(理容美容も含めて)希望者全員が終わっていない状況で時間切れになると、ものすごく後ろ髪を引かれる思いになる。避難所の子どもと仲良くなって「また来てね」とか言われたりしたときも同様である。


 「うん、また来るね」


と言いたいけれども禁句である。


「できれば来るね」と口にしてもほとんど無理な場合が多い。なんせ行けていない地域・避難所の方が多いのだから、まったく支援が来ていないところが見つかればそこが優先される。自分自身が活動できるのがその日が最後だったりする。苦肉の策として


「メンバーにしっかり伝えておくからね」


などと答えたりする。


 ただし、大きいところで「積み残し」が多い場合には二日連続で行くということもある。そして二回訪問して希望者が少数になると、今度はすぐ近くで行ってないところが目の前に浮かび上がってくる。


 飯野川中学校もそうである。ビッグバンからは徒歩圏内である。ビッグバンと同じく直接津波の被害を受けて以内地域なので、見た目はただの中学校である。中学校そのものは機能しているので、クラブ活動も再開されているのである。


 避難所になっているのは体育館。非難されている方々は少し遠くから運ばれてきた方々だ。入り口付近や校庭に並んでいる車もさほど多くない。たぶん車も流されてしまった人が多いのだろう。昨日見た「雄勝地区」の方々はこの避難所らしい。


 体育館の扉を開けると、いきなり避難所になる。フロア全面、舞台上まで世帯ごとになんとなくふとんと少しの手荷物で区切ったような避難所だ。誠に失礼な表現をお許し頂きたい。疲れたようなよどんだ空気なのである。


 心理療法士の掛井さんや、足つぼの森光さんも、今回はここで一緒に参加だ。


 入り口近くの三人ぐらいが横になれる共有スペースをメインにして整体を開始する。先日の打ち合わせに従って、この体育館に避難されている三地区でそれぞれ選んでもらった人が順番に受けていくという形である。残念ながら、希望者全員が終わらない状態で時間切れだ。



 この頃は、夕方の6時に整体チームのミーティングを大学ですることになっていた。(後に6時半になる)そこで、今日の活動報告を聞き、明日の活動場所の予定を立てるという作戦だ。7時にはNPO連絡会議があるから、ミーティングを遅くすることはできない。だから、少なくても6時に大学に帰れるスケジュールで活動していた。

 
 夜のミーティングで、快医学世界ネットの大月さん合流。長野県の松本からの被災地入りだ。


 【本日の活動】 一日合計70人。