なすび男はっぴー、つくばへ走る/連載第28回

那智勝浦でも活躍の明石のはっぴーこと鈴木佑君が、竜巻被災地つくばに自転車を寄贈しようと、家で余っていた妹の自転車にまたがって、被災地への募金箱を前かごにくくりつけ、募金を募りながらつくばを目指している。


自転車でただ走っても、募金は集まらない、では少しでも人の目を集める姿で自転車を漕ごうと思った彼は、名古屋で「なすびの着ぐるみ」を購入し、「なすび男」となって一路つくばを目指している。


こういう人間を関西では、敬意と親愛の情を込めて「あほ」という。なんて素敵はあほなやつ。


http://okazaki.keizai.biz/headline/607/


がんばれはっぴー。雨が降りませんように。


※24日0時30分に追伸

 今日金曜日は、はっぴー君、箱根越えだそうです。なすび男に会いたい人は、箱根にGO!
 


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■■東日本大震災ボランティア活動記録■■


「本業でボランティア」


連載28回目



4月17日 
おばあちゃんのニーズは毛染めにあった



 翌朝の宿舎ミーティングで、昨日の写真撮影のことを説明し、黒沢親分に意見を求めた。


 黒沢親分「だから、僕にも写真を撮るなということだね」と(もちろん冗談で)言いながら以下のような話をしてくれた。


「被災地の写真がデリケートな扱いが必要だと言うことは十分承知しています。たとえば、泥出しに言った家の片づけ前の写真を撮り、片づけ後の写真を撮ります。行政から罹災証明をもらうときに、片づけが終わった状態の写真をご本人が持っていったら、被害状況を軽く判定されてしまうことだってありますから、片づけ前の写真はある意味証拠写真になります。


 子どもの肖像権なんていうのも、大人以上にデリケートです。でも炊き出しの大鍋を囲んで、ほんとうに嬉しそうな顔をしている子どもたちの笑顔を見たら、みんなにもこの笑顔をぜひ見てほしいと思ってシャッターを押してしまいます。


 ブログでたくさんの写真を出していますが、一人でも多くの人にこの現場に駆けつけてほしいという思いがあってのものです。だから、僕はどの写真に関しても、なぜ、何の目的でこの写真を撮るのかというのを聞かれた時に、すべて反論できるだけのものを持って撮影しています」


 そう、黒沢親分の写真は、そういえばそのほとんどが活動の写真である。ボランティア活動の記録である。悲惨な写真のコレクションではない。



 その間メンバーも増え、活動実績も着々と積み重ねてきた整体チームである。一日のケア人数が100名を超えるのがあたりまえになってきて、これを「200」とか「300」という炊き出しチームの提供食数まで行きたいねなどと言えるようになってきたこのころであった。さらに、NPO部屋の長期スタッフ、社会福祉協議会の主立った職員の方々にも施術の数を重ねるこのごろである。


 このころ、どういう経緯でそうなったのかも知れないが、美容師と整体の行き先と時間まで指定したリクエストが社協(ボランティアセンター)佐藤課長からもたらされるようになってきた。


 今日から三日間は、北上地区で場所も時間もびっちり指定されたオーダーに沿っての活動である。


 今日は、「はまぎく」という避難所になっている高齢者施設に向かう。施設に着くと、山形県北上町のバスと兵庫県佐用町のバスが来ていた。山形県の北上町は、同じ「北上」同士で姉妹都市だか友好都市だかのつながりだという。兵庫県佐用町は、水害を経験した町だから、そのお返しにとこうやって被災地に出向くのである。


 美容師はまいちゃんと、今日日帰り参加の埼玉の森君。整体組には、地元の病院で働く佐藤さんというお母さんが職場の休みを利用して一日参加。こどもをほったらかしにはできないというので一緒に参加だ。


 ちょうど北上町と佐用町のバスが来ているので、逆に片づけ対象になる家の人は立ち会いに自分の家に行かないとならなくなる。というあたりも影響しているのか、整体希望の人はさほど多くない。



 今日は、はまぎくで合流する美容師の一隊があると聞いていたが、まもなく到着した。実に気合いの入った一隊であった。車いす昇降機付きのワゴンに、発電機、大量の水、シャンプー台なども用意して、なんとシャンプーに毛染めもできますという用意なのである。


 森君、まいちゃんと、このグループの理容師・美容師の三人の計5名が窓際にずらりと並ぶと、ほんとうに美容室のように見えた。


 この「毛染めができる」というのに一番反応したのが、高齢の女性である。数時間後、はまぎくの中は、毛染めが終わって頭にサランラップを巻いたおばあちゃんが何人も闊歩していた。



 ここまでで書きもらしたのだけれど、当初の予定ではラジオを届け、被災地で一週間程度活動して帰るという予定で出発した3月末であった。そして実際に目の当たりにした被災地の姿はとても一週間で帰れるものではなく、いつ帰るという問題から目をそらし続けてきたけれど、そうもいかなくなってきたのである。仕事も休んでいるし車も借りっぱなしである。そろそろいつ帰るか決めないと…。