日本縦断ドリブルの旅 ベルディまもなく出発


最前列右側 うんこ座りで横向きなのがベルディ石部竜太君。昨年の台風災害時に、宿舎である潮岬青少年の家で朝の出発前に撮った一枚。


オンザロード那智勝浦支援組の「爆発」ことヤスから、東心斎橋に今春開店した「バー・俺」で、同じくオンザロード那智勝浦支援組のベルディこと石部竜太君(忙しい中、竜巻支援にも数日駆けつけてくれた)の壮行会的な「熱い夜をやりまっすんで来てください」との連絡が入ったので出かける。


何の壮行会なのかと言うと、サッカー青年であるベルディは「日本縦断、ドリブルの旅」なのである。


数ヶ月前に「日本縦断やります」というのを聞いていて、さらに詳しく聞くと


「日本をサッカーボールをドリブルしながら周り、日本中の全ての原発をその足で尋ね、その土地に住む人の生の声を聞き、できれば原発立地市町村の首長さんにも直接お話を伺いたい」という遠大な計画である。2年は覚悟しているという。


「徒歩による日本縦断をします」というのを聞いてから、筆者には彼が他人とは思えないのである。筆者20歳のおり、やはり徒歩による縦断を経験しているからである。


で、「バー・俺」で彼の話を聞いてびっくりした。


彼が徒歩による日本縦断を思い立ったのは、冒険家植村直己さんの著作を読んだからだという。これが同じ。


彼が日本縦断のスタート位置に決めたのが北海道最北端宗谷岬、これも同じ。


そして、彼がスタートの日と決めたのが、7月の1日。いやーびっくり。筆者奇しくも31年前の同月同日に宗谷岬をスタートしたのである。


わずかばかりの餞別と、31年前に作った「日本縦断記念 闘魂手ぬぐい」を彼に贈り、激励する。



同じ「縦断男」ではあるが、彼の方がスケールも目的も偉大である。筆者の歩行距離は2880キロだったが、彼はその何倍もの距離になるだろう。しかもサッカーボールをドリブルしながらという条件付きである。


さらに、旅の途中ではサッカーボールをドリブルしながら富士山にも登るぞという計画まであるのである。


最近の若いやつは…、なんて凄いんだ。


ドリブルを途中でやめようと、全ての原発を回ることができなくとも、富士登山がやはり難しくとも、その価値はいささかとも減じることはないと思う筆者である。ただただ旅の安全を祈り、無事の帰還を祈るばかりである。


彼は29日に北海道へ飛び、30日に北へと移動。1日のスタートである。