連載43回 3話

東日本大震災ボランティア活動記録「本職でボランティア」


連載43 回目


迷惑ボランティアだったか?


 偉そうにほかのグループの批判をしている筆者だが、判断間違いだってしている。自分で気づいていることもいくつかあるぐらいだから、客観的に見ればもっと多いという可能性のほうが高い。


 牡鹿半島を回ってた時には、午後から向かった訪問先への移動が最大余震の影響で道が寸断されて大幅に遅れてしまったことがある。夕方の4時前だった。停電している地域が多いので、この時期の避難所の夕食は実に早い。ここも発電機を回して電気を取っている状態で、この時も「まもなく夕食です」ということだった。


 食事スペースのわきの方を少しあけましょうという動きもあったので、そのまま整体に入った。(食事は一度に取れる広さがないので、交代で二部制だった)けれど、リッキー田村さんなどの数人のメンバーは、全員が入って場所を多く取ると迷惑になってしまうかもしれないと判断して自主的に活動を自粛した。


この自主的に自粛したメンバーの方が正しい判断だったと思う。ついつい「やる」を優先してしまい、一部の人に喜ばれても、また別の多くの人の眉をひそめさせていることだってあり、そこが目に入らなくなってしまう。
 
 
事前に想定できないニーズ  

毎日の災害復興支援協議会で、その日の活動を数字で上げて報告する。チームとしては「体ケア計32人」「ヘアーカット12人」という具合だ。ある時期からそこに「包丁研ぎ」というのが加わった。大工の後藤棟梁の仕事だ。ニーズのある現場であれば、8本や9本ぐらい研いでいた。


もちろん砥石は自分の道具の手入れのために持ってきたのであり、埼玉でいた時には、「被災地に包丁研ぎなんてニーズがあるなんて想像もつかなかった」という。しかしながら、包丁を扱う方々にとても喜ばれたのは言うまでもない。


 5月末に国際武道大学ボクシング部コーチの宝子ちゃんが、三度目の被災地活動に向かうということになったら、地元千葉の農家のみなさんが、これを持って行けと生花をたくさん託されたそうだ。避難所に持っていったら、女性たちが「ちょうだい、ちょうだい」とそれこそ瞬時になくなったそうだ。千葉の花農家のみなさんの気持ちは、しっかり被災地のみなさんに届きました。


 北上地区のはまぎくで、シャンプーのできる美容師カーが来たときの、高齢者の方の毛染めができると聞いた時の盛り上がりも想像もしていなかった。
  


さまざまなボランティア


 生活センターで、何かみたことのある顔と声だと思っていたら、16年前のナホトカ号の重油流出災害の現場で一緒だった当麻君だった。立正大学の学生だった彼は、加賀市の現場のボランティアセンターで、炊き出し隊の隊長をしていた。その後家業のお寺を継いで、ただいまではご住職。東京にある彼のお寺でも「半端でない数のご遺体をあずかっているんです」とのことだった。


 「念のために袈裟も一式持ってきているんです」という。被災された方の中には、まともな法要ができていないことを気がかりに思っている方も多かろうと思う。ナチュラルホリスティックさんのチームにも、やはり読経ボランティアの用意をしてきた浄土真宗の家本さんがいた。お二人とも短期の滞在だったので、その後は聞けていないけれど、必要としている方とうまく出会えていればと思う。


 音楽で被災者を慰めたいという人は数多くおられるようで、家本さんと同じチームに「僕はバイオリンを弾きます」という男性が参加していた。ちょうど美容師さんが豊富にいる時期だったので、「ぜひ美容師のバックで情熱大陸を演奏して、カリスマ美容師の演出をしてほしい」と伝えた。残念ながら、チーム編成の都合で美容師とは同じ避難所にはならず、お坊様と同じチームだった。


避難所で彼は「バイオリンでみなさんにひとときでも楽しんでいただきたいと思います」とバイオリンを取り出した。しかし彼は致命的なミスを犯していた。バイオリンはあったが弓を忘れていた。その瞬間彼は、避難所の中で巨大な生ゴミになった。ミニコンサートは、ただの「バイオリンの見学会」で終わった。


その後彼とは会う機会はなかったが、きっと雪辱を期して再度被災地入りし、魂の演奏をして被災者を慰めていることと思っている。


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