できる・できない/震災ボランティア連載48

「できる」「できない」




「できる」「できない」ということは、



実は頭が作り出した虚像のような気がする。



「まだ手を付けていないこと」と



「手を付けてやりだしたら、こういうふうになったこと」の二つがその実態だ。



設問には必ず正解があり、



上限は100点までしかないという



学校教育の枠組みに毒されているのかな。



今からやることには無数の選択肢があり、



結果はマイナスもあればプラス500点だってある。



できる、できないというような単純なものが世の中ではなく、



生きて動いて相手があるのが世の中だ。



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「本職でボランティア」 

これは昨年5月に書かれたものです。宮城県石巻市の災害現場でお会いした「過去の災害救援からの経験豊富なボランティア」「さまざまな本職を活かして、被災者に喜ばれる技能・職能ボランティア」のみなさんの活動を、「こんな活動もあるんだ、こんな活動をしている人もいるんだ」ということを多くの方に知ってもらいたいと、大急ぎで本一冊分ぐらいの分量を書き、筆者の関係者にお配りしたものです。とにかく一日でも早く多くの人が読み、被災地にさまざまなプロが駆けつけてくれればという思いで書いたため、内容には現在の状況とはかけ離れたもの、筆者の独断や偏見、認識不足や事実誤認も含まれていることをお詫びいたします。



【 提言編 】 


一番困っていることは、何ですか?




「一番困っていることは何ですか?」


「一番足りないものは何ですか?」



震災直後のテレビ報道で、名だたるメインキャスターが現地とつながっている中継で乱発していた質問である。



この「一番は何?」という質問ぐらい筆者をいらだたせたものはない。これは

 

「監督、今日の一番の勝因は何ですか」



「先発ピッチャーの踏ん張りです」



とか



「この勝利を誰に一番に伝えたいですか?」



「亡き母です」



というような平時に使われているパターンと同じである。監督が今日の勝利のポイントをどこに置こうと、初勝利を上げた苦節7年のピッチャーの報告相手が誰であろうと、別に誰の生命にも関係ない。視聴者はふ〜んそうなのと思うだけである。



この災害時の質問として、一番だけ尋ねてどうしたいのと思う。2番3番4番5番はどうでもいいのかと思う。ものすごく大量の人に情報を送ることができる機能を持っている組織だという自覚が薄いように思う。



中継されていない時間はずっと被災地で取材ができるのだから、避難所の3つや4つ回れるだろう。物資の過不足を自分で調べて、問題点が分かったら、できればマスコミの取材力を生かして、それらの支援物資がどうなっているのか自衛隊とかにも輸送状況などを取材すればいい。系列の新聞社だってあるんだから連携すればいい。



津波が街を襲う高台からの映像はこぞって流していた。カメラの周りには助かった人たちがたくさんいた。その人たちのその後が、救援の対象だ。その人たちはその後どう動いたのか。どういう状況になったのか。人を助けたいなら、それをばんばん流せばいいのに。



テレビ報道というのは、映像を流してコメントを付けて放映する。逆に言えば絵にならない状況は取り上げられないというフィルターがかかっていることを、局の人はもっと自覚すればいい。



一番を聞いて成り立つのは、誰の生命にも関わらないい平時の発想。巨大災害時には、二番以下も、そして画面に映っていない部分もどんどん発信していくべきだ。