学校についていろいろ考えた1
二回目を終えたH住吉高校のGB科の身体表現の授業。
まことに満ち足り、幸せな11月だけの高校教師(正確には特別非常勤講師)である。1月にあと2回ありますが。
生徒は整然とまた爆発的に盛り上がり、「今日もよかった、次回は楽しみ」「休みません!」とのアンケート回答も。(詳しくは進化体操ブログをどうぞ)
大阪府立高校のあまたおられる高校教師の中で、非常勤特殊授業担当という条件があればこそながら、筆者ほど幸せに授業担当させていただいている教師はおらないであろうと感じる先週今週である。
しかし、なに故にこの幸せ感なのか、ということを押さえておかなければ、それは泡沫現象、あっと言う間に消え去るやもしれぬ。
ひとつは、学科主任のK先生のご理解である。話は違うが昨年3月に「石巻に電池とラジオを届けるプロジェクト」の際には、職員会議で呼びかけ、電池ラジオをぎりぎりまで集め、道場までわざわざ持ってきてくださったような方である。
授業受け持ちのH先生も、そもそもH高校との出会いである八木君の演劇の授業担当からのおつきあいであるから、講習内容に理解があり、決して「このおっさん、勝手なことやっているわ、おかしいわ、じゃまだわ、こんなの高校の授業じゃないわ」などということのない方である。
さらに一番は生徒諸君が興味津々の正しい「知的好奇心の活性化した正しい若者の状態」であることである。「け、やってられねーよ」というお歴々は、すくなくとも見かけはない。
それら外的要因以外に、なにがこんなに楽しいのかを考えた。
結果は、成績をつけなくていい、テストをしなくていい、ということがもっとも大きな要因である。
もしこれが「進化体操 実技理論と反射点」という授業で、中間テストやら期末テストで実技と学科の試験をするということになると、とたんにつまらなくなる。
「広範囲に知識と出来映えを問う」という前提がないとテストはできない。合否を決めるのではなく、成績をつけるという前提では、テストは容易な問題をつくって落第しないようにし、難易度の高い問題を作って出来のいいのが高得点をとるようにしなければならない。
進化体操の授業で
「ええか、ここテストに出るからしっかり覚えとけよ」
などと言わなければならない。
あほらしい。
「テストに出るから覚えとけ」と言われて覚えたような中身は、テストが終われば速やかに忘れてしまうというような中身である。
私は進化体操がそのような扱いを受けることが耐えられない。
39人の生徒諸君の「からだ観」に爆弾を投げ込み、願わくば継続的化学反応を起こし、「進化体操なくてはその後の人生はなかった」といわしめる生徒諸君を一人でも多く誕生させようとの思いである。ほんとうにできるかどうかは分からないけれども、その可能性を感じて続けさせていただいているのである。
「試験に出るから覚えとけ」は、試験がなければどうでもいいものという生徒を作り出す。
世の主流だからといって、それが正しいとは限らない。つい先日までの原発のように。
(つづく)