分かりやすいのは怪しい

体罰が問題になっている。少し前に、橋下知事、市教委、府教委が話し合っている報道を見ました。


なんでもかんでも、単純な構造にしてマスコミに取り上げさせる、という図式に強い違和感と警戒感を感じます。


できない理由を複雑に並べ立てて既得権益を守ろうとするのもどうかと思いますが、単純にしてしまって、グイグイと結論づけるというのは、怖い。鬼畜米英の一言にみんなが同調してしまった不幸な歴史の繰り返しを見るようで(実際に見たわけではありませんが)危うい感じがするのです。


人間はややこしいことが嫌いです。


実際の生活の中では、何かやろうとしたら、賛成反対支持対立無関心思い込み年齢差キャリア勢力グループ単独やる気怠惰心などに翻弄され、右往左往しながら少しずつでも進めばもうけもの、というようなものです。

絶対的な悪者もいないし、いいものもいない。


だから本当に解決しようとしたら、とってもややこしくなるのは容易に予想されます。逆にいえば、入試をしたらいけないぐらい悪い体育科の体質と教員だったからこういう事態になったと結論づけるということは、本当の意味で解決しようなんて思っていないということになります。

けりはつけたいということかな。

府なのか市なのかは忘れましたが「100ます計算」などで有名な蔭山先生が委員に就任されていて「もっと本質を議論しないと」ということをしきりに述べておられたけれど、スルーされてしまっている感じの会議の席でした。

大阪府はいったいどういう教育がしたいのか」の議論から始めないと、というようなことを述べていました。本当はそういうことだと思います。


いわゆるいじめ、とか、いわゆる体罰のようになんでも、その一環にしてしまわない方がいいと思うのです。